#36 教員の仕事・時間外労働が増えていった理由

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は、仕事が増え、時間外労働が増えていった理由について書きます。

はじめは一人ひとりの工夫

その昔、昭和時代ですが、教員は自主的・自律的であり、創造的な教育を試みていました。一人ひとりの教員が工夫を凝らし、その人の得意な分野で児童生徒に向き合い、特色ある教育を実践してきたのです。

しかし2000年以降、学校長の権限が強くなり、それら一人ひとりの教員の工夫を校長が学校全体で取り入れ、一律に行うようになったのです。

例えば、掲示物にコメントを入れることです。登校指導や朝のあいさつ運動もそうです。最初はある一人の教員が自主的に始めたことです。しかし、これは良い取り組みだとして、校長がすべての教員に行うように指示し始めたのです。一律に業務として指示されるようになったのです。

これが長時間労働の始まりです。

良い取り組みを校長が全教員に指示するように

さて、この仕事は自主的でしょうか。

言うまでもなく、これらの仕事は、学校長の命じた仕事であって、自主的ではありません。

教員の仕事は、教員自らが増やして来たように思われていますが、実は違います。

個々の教員がそれぞれ児童生徒に効果的な方策として試みてきたその結果を、学校長が良いもの全てを全教員に仕事として課してきた結果なのです。

#35 今、創造的な教育は皆無です

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は創造的な教育について、です。

2000年を境に変わった

教員には、自主的自律的で創造的な教育が求められるとして、国は1971年、給特法を制定しました。給特法を制定することによって、勤務時間管理を無くして、「自由裁量時間」を与えることにしたのです。

しかし、文科省は2000年を境に学校長の権限を強くしました。学校教育法の改正です。

「校長のリーダーシップのもとに」「公務員も民間並みに」「特色ある学校作り」などの言葉が増えていきました。さらに、人事評価制度が始まり、精神疾患による病気休職者も増えていきました。

校長一人に権限を与え過ぎたために、多様な意見が減り、”忖度”が始まりました。

そして、教員の長時間労働が当然のようになりました。

自由裁量時間がなくなった

2000年以前は学校長が求める仕事は勤務時間内に収まり、それ以上を求めると職員会議で反対されて実行不可能でしたが、権限を与えられた校長は、「1日の労働は8時間を超えてはならない」という労基法を無視しました。

また、それだけではなく、勤務時間内においても教員に指示を与えるようになりました。教員の「自由裁量時間」はなくなったのです。

“創造的な教育”は皆無となりました。

 

なぜこうなってしまったか。校長一人に権限を与え過ぎたからです。

今のままでは”忖度”ばかりの世の中になります。もっと自由で民主的な教育環境が必要です。

講演会のお知らせ

この度、北九州市教職員組合において講演を行うことが決まりましたので、お知らせいたします。

日時:9月16日(土)13:30~

場所:小倉リーセントホテル

組合員の方でなくても参加可能とのことです。

宜しくお願い致します。

#34 夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないか

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

久しぶりに書きます。今回は教員の夏休み等の長期休業について、です。

夏休みに勤務の特殊性はありますか?

1971年、文科省は教員の「勤務の特殊性」を理由に給特法を作りました。その特殊性の一つが、夏休み等長期休業とされました。

当時長期休業には自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在するから一般労働者とは異なる特殊性があるという理屈でした。

しかし、実際、現在、その特殊性はあるのでしょうか。私には特殊性があるとは到底思えません。

今の長期休業は授業が行われないだけで、勤務形態は学期中と同じです。子どもたちが登校しないだけで、教員の勤務は通常通りなのです。

個人面談、備品整理、トイレ掃除、校内研修、教育課程研修、年次研修、遠足の下見、日直…その他様々な仕事が課せられています。学校閉庁、夏季休暇は5日間程度です。

また、自宅研修についても、文科省が2002年に発した通知を転換点として認められなくなりました。

埼玉大学(当時)の高橋哲准教授も、次のように説明されています。

当時の国会での議論は「教員は夏休みに長期休業期間等に自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在する。だから一般の労働者のような時間管理はなじまない」というもので、これが教員の「職務の特殊性」として説明されており、審議録にも残っています。当時の先生たちは、勤務時間内に校外の自主研修に参加することが可能で、教員組合主催の勉強会なども盛んでした。夏休みに学校外で研修に励むというのは普通のことでしたし、東京都の例では教師が自宅や校外で研究・研鑽できる「研修日」もあったのです。もっとも当時でさえ「昔と異なり夏休みの休暇というのは学校になくなってきているのが実態」という主張はありました。現在にいたっては、とてもそのような状況ではありません。

【引用:教師はなぜ苦しい職業になってしまったのか――給特法の矛盾に迫る】

巧妙に給特法が利用されている現状がある

給特法制定当初と状況が変化してきているのだから、私は今、教員の夏休み等長期休業の在り方を真剣に再考すべき時ではないかと感じています。

つまり、そこには特殊性などないと認めることです。(それは給特法の根拠が一つ失われることを意味します)

少なくとも、自宅研修を復活すべきです。

あるいは、それでも長期休業においては特殊性が存在するというのであれば、例えば一ヶ月間全ての休みで学期中の無賃残業の調整を図るべきです。

特殊性とは、そういうものです。

文科省や教育委員会は特殊性があると言いながら普通勤務を求める、私はその矛盾が許せません。彼らは、巧妙に給特法を利用しているのです。

今、夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないかと考えます。

「第二次教員超勤訴訟募集」詳細について

「第二次訴訟」では私の裁判で認定された枠組みが活用できます。部活指導等で時間外労働が長い中高の教員が原告となった場合、違法性が認められる可能性が充分にあるのではないかと考えています。

集団訴訟を起こすことを通じ、一緒に私たち教員の働き方の問題を考えていきませんか。私たちの働き方はどう考えても法律違反に当たると思います。未来に携わっていく教員の労働環境をより良くしていきませんか。一人一人の思いを裁判で伝えていきませんか。

「第二次教員超勤訴訟」の募集のお知らせ

「第二次教員超勤訴訟募集」詳細

上記の通り、先月、お伝えしていた「第二次教員超勤訴訟」の募集について、詳細が決まりましたので、以下のとおり、お伝えいたします。

「第二次教員超勤訴訟募集」詳細(PDF)

応募ページ

ご応募は、こちらのページよりお願いいたします。

たくさんのご応募お待ちしております。

お問い合わせ:1214.cfs@gmail.com

#30 文科省に尋ねたいこと3つ

今日は、先日の記者会見でも話したことを書きたいと思います。

判決を受けて、文部科学省に尋ねたいことです。

①教員の長時間労働を自主的なものとして良いのか

教員の長時間労働の事実は確かです。

月に60時間の残業を行なっている事実が確かに存在します。しかもこれは私だけではありません。日本の多くの教員に60時間を超える時間外勤務の事実があるのです。これを労働と考えないで自主的なものとしているのが日本の公立学校教員の置かれた立場です。

月額1万円の教職調整額を出して、月に45時間働かせても問題なし。月に60時間働かせたら少し多いかな…。月に80時間働かせたら注意が必要。たとえ月に100時間を超えて働かせても管理者責任はなし。時間外勤務があっても無いことにする言い訳が通用してしまうのが日本の教員の労働環境です。

私が言いたいことは、給特法が残業代の支給を無しにして、超勤4項目以外は命じられないとした意味は何だったのか、ということです。

改めて文科省に問いたい。教員の長時間労働を自主的なものとして良いのでしょうか?

②授業の準備は5分で充分か?

次に、教材研究・授業準備についてです。

判決では、授業準備が5分という判決が出されました。授業をするにあたって、あらかじめ教える内容を把握するための教材研究は労働時間として認められませんでした。ここで判決は確定しました。

文科省は判決と同様に、教材研究の時間はゼロ、5分の授業準備で充分としているのでしょうか?

また、もし必要としているのならば勤務時間内のどの時間帯で行うことを求めているのでしょうか?

小学校では児童の学校滞在時間が午前8時より午後4時まで約8時間にわたります。教員の勤務時間は7時間45分です。教員が授業をするために行う教材研究を自主的・自律的勤務とするのでしょうか。文科省のはっきりとした答えを知りたいです。

③自発的とされた15の仕事についての見解

最後に、判決結果を踏まえた教員の働き方についてです。

下記は判決により、教員の労働時間として認められなかった15の仕事(教員の本来的業務=自発的行為とされた仕事)です。

これらの仕事について、文科省はどのように考えているのでしょうか?

当時は、係争中の案件については答えられないと避けていましたが、判決が確定されましたので、しっかりとした文科省の見解を求めたいです。

#29 判決の問題点9つ


先日、最高裁から上告棄却の連絡があり、埼玉教員超勤訴訟の終了しました。

改めて、ここで本訴訟の判決の問題点を書きます。

①時間管理が不能という点

自立的な職務と指揮命令に基づく職務が日常的に渾然一体になっているため、時間管理が不能であるという判決。高プロ労働者でさえ、労働時間管理義務は課せられています。なぜ教員には労務時間管理義務が課せられていないのでしょうか。私立学校国立付属小学校は勤務時間管理可能で公立学校は渾然一体とする根拠不明が問題です。

②校長の職務命令があったかどうかにすり替わった

原告の超過勤務の認定に対して、時間外勤務を命じることができない超勤4項目以外の仕事であったのかどうかの判断ではなく、校長の職務命令があったかどうかの判断にすり替わってしまっていたことが問題です。

③勤務時間前について

登校指導や朝会時の集合などは明らかに時間外勤務でした。しかも常態化していました。これが国賠法上の違法とならないのが理解できませんし、問題です。

④割り振りは事実上不可能

さらに勤務の割り振りが不可能なほど時間外勤務が常態化しているのにもかかわらず、それに対する処置を怠っている行政に問題があります。

空き時間について

360時間の時間外勤務を認定しておきながら、空き時間にできたはずといういきなり判決に問題があります。原告の空き時間については職務専念義務が課せられていました。しかも空き時間についての原告の仕事状況については全く議論されていませんでした。原告の勤務時間内における自身の仕事についての詳しい説明を求められないままに仕事に携わっていた空き時間を判決に利用されたことは遺憾です。

⑥休憩時間について

教員の休憩時間についても同様です。原告の休憩時間に児童の指導、会議研修等仕事に携わっていた事実が認められています。しかし、それも全ての勤務時間の合算として処理されて判決が出されています。休憩時間が労基法上の休憩時間として裁判で認められていません。私は、歴史的大問題判決だと思っています。

⑦生活時間の軽視について

労働基準法違反に対する判断が、健康や安全確保に限られており、生活時間の確保がおろそかにされているという問題です。

⑧法解釈ばかりに終始した裁判所

教員の時間外勤務は明らかな事実です。自主的かどうかを判断しているのではなく、法律上の理論ばかりに終始している裁判所の在り方に問題があります。

⑨給特法が強者に利用されていることを理解しない裁判所

法律は弱者を保護するために作られているはずです。給特法もそうです。それが強者に利用されている現状を裁判所が理解できていないことに問題があります。