◆判決文
◆概要
〜教員の長時間労働に歯止めをかけたい〜
よく頑張ってくれました。
全国の教職員の要求、怒り、願いを実現する裁判提訴でした。
有難うございます。
大きな運動のうねりを準備する成果を獲得していただきました。
貴方の勇気と決意に敬意を表します。
読ませていただきました。
気になるのは、教員の自主性と自立性というところです。
正直、教員には自主性も自立性もないと思います。なぜなら、学習指導要領により、決められた実施内容があり、それを児童生徒に理解させなければいけない。教員の判断で教育内容は変えられないはずです。どこに自主性があるのでしょうか?確かに教材を作成したりはできますが、それは学習指導要領の内容を理解させるためのものであり、それを作るか作らないかを自主性というなら、全て教育委員会で作成してもらいたいものです。
この判決も教育委員会も結局「自主性・自立性」と言いますが、個人で決定できることは実際には少ないものだと思います。
また夏季長期休みがあると言いますが、その期間もきちんと勤務時間はいなければいけませんし、その中でも仕事はしているわけで、何か仕事が軽くなってるような判決文の書き方は現場を知らないとしか思えません。それにもし自主性とかいうなら、登校がない夏休み期間中は勤務時間内に帰宅してもいいんですかねぇ?
最後に応援しています。
これって成績処理の時間はどうなってますか?
テストの採点の時間は?
宿題を見るのは教師の自主的ものだから宿題やらなくてもいいってことですよね
[…] 埼玉教員超勤訴訟・田中まさおのサイト判決文全文https://trialsaitama.info/?p=982◆判決文判決文 2021年10月1日 さいたま地裁判決別紙1~4判決別紙5◆概要 […]
全国の教員は労働時間として認められない作業をおこなうなよ!
認められないくせして作業するからなぁなぁになってるのでしょう。
一切やらずに、はちゃめちゃに学校崩壊させて下さいよ。
それが国の指針なのだから。ボランティアじゃあない
[…] 原告の田中先生より、判決文(埼玉教員超勤訴訟・田中まさおのサイト)が公開されましたので、全文読む余裕がない方に向けて重要と思われる部分を抜粋して整理しました。 […]
本裁判では何が労働かが大枠として明らかとなったという意義を感じました。お疲れ様でした。応援しています。
地裁お疲れさまでした。
そして、高裁応援しています。
自発的な行為と、命令による業務が不可分であるから、時間管理ができない。
しかし、そのような給特法存在下で、なぜか人事評価制度が運用されている。
時間管理すらできないに、能力が評価できるのか?
時間外手当を支給せずに、能力給だけを導入している職種ってあるのだろうか?
能力を測るよりも、時間を測るほうが容易だし、絶対評価たり得るのではないか?
今回の判決文を読みながら、人事評価制度の「自己目標」も諸悪の根源の一つかもしれないと感じた。
「自己目標」実現のために、「自主的な行為」を「強制」されている可能性はないのか?
「自己目標」は管理職の同意を得て策定している。
だとしたら、自己目標の「実現」は管理職による「命令」ではないのか?
全国学テはどうだろうか?
ここ数年、やたらと「数値目標」が求められている。
そして、「学力向上」が求められている。
指導方法工夫改善加配を要請する際にも、「数値目標」は必須だ。
「数値目標」の実現のために、管理職は具体的な指示・指令は出さないが、もはや「命令」と言って差し支えないのではないか?
確かに、いわゆる「時間外労働」は、「法的」には管理職の「命令」によって行われるものである。
しかし、「命令」の有無によって「同じ行為」であっても、労働であったりなかったりするかのような判決には、納得がいかない。
勤務時間前に行った、朝学習の準備が、「命令」によるものではないから「労働ではない」など、言語道断だ。
では、日本中のすべての職場では、勤務時間外に「制服の着替え」を行うのだろうか?
それとも、勤務時間内に着替えを行うように「命令」されているのだろうか?
そもそも、教職員にとっての「教育労働」とは、どう定義したらよいのだろうか?
教育的価値のある労働か否かは、「命令」されたかどうかで定義されるのだろうか?
それは、違うだろう。
だったら、毎日の授業は「労働ではない」と言えることになってしまう。
だって、いちいち管理職にお伺いを立てながら授業を進めてはいないからだ。
事前に、指導案を提出して決済をもらってもいない。
いったい「教育労働」とは何なのだろうか?
日本では、多くの職種で「労務管理」がなされていない。
とりわけ、教育現場がお粗末である。
「教育労働」かどうかを、教職員一人一人が「自主的」に決定しているのは、非科学的にもほどがある。
文科省は、残業0時間になるように、学校現場の「労務管理」を完璧に行い、「教育労働」を定義しなくてはならない。
業務削減によって批判されるならば、教職員を2倍にして、ワークシェアリングを進めればよいのだ。
人と物と金を出していただきたい。
現場の教職員をスケープゴートにするのは許されない。
少なくとも、私にとって「部活動」は「必要不可欠」な教育労働ではない。
真っ先に、業務削減すべきだ。
そうすれば、小中学校の超勤に差がなくなる。
部活動に対しては、「職務命令」出ていないようだから、文句言われる筋合いがない。
文科省は、胸を張って日本全国の部活動を停止してよい。
今後も、北の大地から、ともに戦います。
長文失礼しました。