#41 残業を20時間に減らせるなら、残業代支給でも同じなのでは?

4月10日、衆院で給特法(教職調整額の引き上げ)の一部改正について審議が始まりました。

そのなかで石破総理は、「在校等時間(残業)を月に20時間にすることを目指す」と繰り返し答弁していました。

野党の様々なアイデア意見を断ってまで、「20時間にする」と信念をもって言ったのです。

残業20時間=教職調整額10%

今回の改正案では、数年かけて教職調整額を10%まで引き上げることが盛り込まれています。

10%という数字は、残業時間20時間分に相当します。

だから、石破総理は残業20時間に減らすことを目標とすると言ったのでしょう。

野党からは、順序が逆ではないのかとの指摘をされていました。つまり、残業代を出すのが先ではないかという指摘です。その通りだと思います。

費用:教職調整額10%=残業代支給

そこで、田中まさおは、こう思いました。

在校等時間(残業)を20時間に出来るならば、給特法を廃止して残業代支給にしてもかかる費用は変わらないのではないか。

同じ費用ならば、給特法を廃止して残業代支給にすればよいのではないか。

本当に、残業20時間まで縮減できるのであれば。

逆に言えば、残業代支給(給特法廃止)をしないで教職調整額引き上げでお茶を濁すやり方でメリットがあるのは、残業時間が20時間まで削減できない場合です。この場合は、教職調整額引き上げの方がかかる費用が少なくて済みます。

総理は文科省は本当に残業を20時間まで縮減できると考えているのでしょうか。

本気で、本当に本気で考えているなら、同じ費用の残業代支給(給特法廃止)にすべきです。

#40 教職調整額の引き上げ給特法改正案は、廃案にすべきです

4月10日、国会衆議院本会議にて給特法の一部改正案(教職調整額引き上げ等)についての審議が始まりました。その審議を見ての田中まさおの所感を記録しておこうと思います。

審議の前提が間違っている

今回の審議において、政府・文科省は「在校等時間を20時間以内に収める」と繰り返し言っていました。しかし、それ自体がおかしい。本来、時間外勤務はゼロであるべきです。元々の給特法の趣旨からすれば、残業はない前提なのに「20時間に収める」という発想自体がそもそもズレています。だから、教職調整額を1%ずつ引き上げるということ自体、おかしい。

政府・文科省は現場の先生たちの不満は分かっていません。法律違反の状態であること自体も、分かっていません。話が逆戻りしてる印象があります。

2020年、埼玉教員超勤訴訟の判決で裁判所は「給特法は限界にきている」とはっきり言いました。当時の萩生田文科大臣もその判決について記者に聞かれたとき、「給特法が限界に来ている」と言いました。今回はそれに基づいて法改正・廃止すべきなのに、そういう議論にはなっていません。

埼玉超勤訴訟の判決では、授業準備など時間外労働が一部認めらました。しかし、今回の国会審議はそれを前提に議論していません。自主的という名のもとに、教員の労働を例外扱いする考え方がまだ根強く残っています。法的には「労働」か「労働でない」かしかないのに、「自主的」という中間領域を勝手に設けてしまっています。

れいわの大石議員は16日の質疑で埼玉超勤訴訟を話題に出し、このことを踏まえた質問をしているように見えました。大石議員は、「教員にも労働基準法が適用されている」と言い、労基法には「労働」と「労働でないもの」しかないから、「自主的労働」なんていうカテゴリーは存在しないと言ったわけです。


一方、政府・文科省をはじめ野党も大石議員以外はそのことから議論を始めないから議論が根本からずれてしまっています。萩生田文科大臣(当時)は、そういった自主的労働の線引き自体を見直すべきと言っていたのに、そのことがなくなってしまっています。

法的に自発的時間(中間領域)なんて存在しない

ですから、本来最初にきちんと議論すべきなのは、「教員に労基法が適用されているかどうか」です。適用除外されているのは37条、つまり残業代の支払いに関する部分だけです。そこから、議論を始めなければなりません。

給特法があるから、教員には残業代が出ません。しかし実際には教員は残業しています。教育委員会は業務命令ではないと言い張っていますが、実質的には残業をしています。それも本来は労働基準法に基づけば、明らかに労働時間です。命令されてなくても業務上必要でやっているなら、それは労働時間です。だから「労働時間」と「非労働時間」、この2つしか労働基準法にはない。「中間領域」なんてないのです。

政府・文科省は「自発的な時間」という「中間領域」の概念を、法律を無視して持ち込んでいます。「中間領域」という概念をでっち上げたのです。今回の審議でも厚労大臣は「中間領域は存在しない」と明言していました。「労働」か「非労働」かのどちらかしかないのです。文科省が「中間領域」をでっち上げたのです。法的にそんなもの存在しないのに。

ただ、私の考えとは異なり給特法が「中間領域」を肯定するものであるなら、もう給特法は廃止するしかないと思います。「中間領域」を無くすには、もうそれしかありません。

教職調整額の引き上げについて

1年1%ずつ引き上げるとのことですが、本当は初年度から「最低でも10%」の教職調整額は必要です。それでも足りないかもしれない。文科省が10%と言ってるのは、そのくらいは出さなければ整合性が取れないからでしょう。

残業4%が8時間なので、10%は20時間分。つまり、20時間分の調整額を出さなければ、残業時間に見合わないということです。石破さんの「20時間」発言は、その10%に基づいたもので、文科省の内部で作られた数字でしょう。

今回は廃案にすべき

今回、調整額を1%ずつ上げて最終的に10%にするという話ですが、それは現状を追認してしまうことになります。だから私は今回の改正案に反対です。3000円程度のために働くなんて馬鹿らしい。今回は否決して、来年しっかり10%にするべきです。

給料が増えるって見方で賛成する人も多いけど、それが本当に教員の働き方改革になるのか、疑問です。認めてしまったら今までの議論が無駄になります。今回は否決して、じっくり本質的な改善に向けた議論をすべきです。今のままならまだ議論できます。

法律が通ったら下手をするとあと10年、様子を見るだけになってしまいます。今回の改正案は、むしろ通さない方がいい。法律が通ることで、変な前提が固定されて次のステップが取りにくくなります。議論を邪魔する存在にさえなります。

文科省へパブコメを送りました

教職調整額を10%に引き上げるなどの提言を行った、先日の中教審の審議について、文科省がパブリックコメントを受け付けるとのことで、私、田中まさおも意見を送ってみました。

①時間外勤務を「労働」と「自主的」に峻別すべき

中教審の審議では教職調整額を引き上げるとのことですが、教職調整額は残業代ではないし、給特法は教員の時間外勤務を自主的労働とする法律ではありません。しかし、今回の審議をみていても、教員の時間外勤務のすべて自主的とする考え方に変わりがないようです。

まず大前提として、給特法下においても公立学校教員も労働基準法が適用されています。

ですから、時間外勤務について、その業務が労働条件を満たしているかしっかりと吟味する必要があると私は考えます。つまり、その時間外勤務を「労働」として扱うべきなのか、あるいは「自主的」なものとして扱われるべきなのかを峻別していくことです。

これまでのようにすべての時間外勤務を「自主的」と扱うのは無理があります。持続可能ではありません。

ですから、時間外勤務のうち、その業務が学校経営上の利益を有しているのならば、それはもう「労働」として認められるべきなのです。

時間外勤務の内容を吟味することをすっ飛ばし、簡単だからと教職調整額を増額しても、現場の教員や学生からの支持は得られませんし、状況は改善していきません。

中教審及び文科省には、まず時間外の勤務内容をしっかりと把握して、それが労働に当たるかどうかを峻別することを求めます。

②労務管理について罰則規定を設けるべき

私の裁判(埼玉教員超勤訴訟)判決でも、部分的ではありますが条件がそろえば教員の時間外勤務も労基法上の労働として認められています。

判決では、校長の指示があり、また勤務時間外に行わざるを得えない(物理的に勤務時間内に行うことが不可能な)場合、給特法下においてもそれは労働として認められたのです。

ですから、上記に述べたように、時間外勤務を「労働」と「自主的」を峻別した後、「労働」として扱うものについては、校長・教育委員会に厳格な労務管理を行わせるべきです。

使用者の労務管理について、現在は民間とは異なり、罰則規定などはありません。しかし、罰則規定を設けなければ、厳格な労務管理は実現しません。ですから、公立学校教員にも罰則規定をもって、使用者(校長・教育委員会)の責任を明確にしていくことが必要だと考えます。

 

中教審及び文科省は、調整額の増額などというお金で解決するのではなく、給特法が本来求めている時間外勤務を限りなくゼロにする方向に向かうための施策を考えるべきであり、私は上記の2つを提案いたします。

#39 何が労働なのかを明確に基準を示すべき。残業すべて「自主的」はもう無理です

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今、中教審では教員の処遇改善について話し合いが行われています。

そこでは教職調整額の増額が処遇改善の目玉として取り上げられているようですが、田中まさおは問題はそこではないと思うのです。

今日はそのことを綴りたいと思います。

教員の労働問題のミソは残業が「自主的」とされてしまうこと

教員の労働問題のミソは、教員の時間外業務が労働として認められないこと、つまり残業が「自主的」だと扱われてしまうことです。

ここの問題を解決しない限り、いくら教職調整額を増額しようが、長時間労働は解決しません。

何時間働かされても、結局「自主的」の一言で済まされてしまうからです。しかも、増額といっても、調整額2万円程度(で45時間の残業)なのです。2万円で45時間(時給444円)働く人はいません。

この時間外業務の「自主的」な扱いを改めることが、私は教員の長時間労働を解決する唯一無二の道だと思っています。

「自主的」と扱われるのは、極めて不当

これまで教員は「労務管理が難しい」「世の中から求められている」として、時間外業務=「自主的」とされてきました。私が起こした裁判の判決でもそうです。

しかし、「労務管理が難しい」といいますが、給特法の対象外である国立付属校や私立校は労務管理を行っており、また世の中から自主性が期待されているのは教員に限らず公務員全体に当てはまりますが、一般公務員の残業は労働として認められています。

つまり、公立学校教員だけが残業を「自主的」と扱われるのは、極めて不当なのです。

そもそも、文科省・教育委員会・学校長は、教員の意志を確認していません。意志に関係なく「自主的」扱いです。教員本人が「自主的」と思っていなくても、他者が勝手に「自主的」とするのです。こんな理不尽なことがあるでしょうか。

何が労働かを明確に示すべき

今、教員は、仕事の何が「労働」で、何が「自主的」なのか、基準がまったくないなか、すべて「自主的」と扱われ働かされ続けています。

仕事内容で労働か「自主的か」を判断されるのではなく、勤務時間外即ち全て「自主的」となるのです。この状況はどう考えても不合理で、とても持続可能ではありません。もう無理なのです。

ですから、この問題の解決には、何が労働であって、何が自主的か、明確にする必要があります。(あるいは、業務の切り分けが出来ないのであれば、教員の残業を全て労働と認めるべきです。)その判断基準が存在しないまま、長時間労働が解決するわけがありません。

それなのに、中教審の審議会は、そのことには一切触れていません。そのことから逃げているのです。

教職調整額を増額することでお茶を濁し、時間外勤務は「自主的」なものとしたままでは教員の働き方は改善されません。限りのない時間外勤務は永遠に存在し続けます。

教員の時間外業務をきちんと労働と認めるべきなのです。そのために何が労働であるか基準を示すべきです。労働を正当に認めず、「自主的」と放置し続けるのであれば状況は何も改善しません。

また、中教審だけではありません。教員の方にもアクションが必要です。今、校長による(事実上の)時間外勤務の強要に抵抗しているのは一部の教員だけですが、教員全体が団結し、「自主的労働」にしっかりと反対の意志を示すべきです。

#38 我々教員が職場でできる働き方改革②

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は前回に引き続き、我々教員が職場でできることについて書きたいと思います。

私が実際に職場で提案・実践した6つの内容です。

すべて校長の承認なければ実現不可能なことではありますが、ただ上から降ってくるのを待つのではなく、我々から教員から提案していくこともできるはずです。

①勤務時間外は留守番電話にする

勤務時間外を留守電にすることによって、時間外労働を防止します。(私の訴訟でも明らかになったように保護者への電話対応は、校長の指示がない限り、労働にあたりません)

これには副産物もあります。勤務時間外を留守電にすることで、保護者の方々にも教員の勤務時間を意識していただけるのです。役所や銀行と同じで、学校にも受付時間があるのです。

緊急の要件については教育委員会につながるようにすれば尚良いでしょう。

②指導案の簡略化

教育委員会が訪問するからといって、校長が指導案を作成するよう指示することがありましたが、基本的には作成しない(させない)、作成するとしても簡単な略案、既成のものを利用するなど、指導案の作成を簡略化しました。

③学校行事の準備は勤務時間内で行う

これまで学校行事があると、行事だから仕方ないかといって、勤務時間が無視されることが多かったですが、計画段階から勤務時間内でやることを意識し、その時間内でできることを行うことをしました。

④家庭訪問(個人面談)を勤務時間内で行う

③同様です。

⑤登下校指導廃止

文科省から出された『学校における働き方改革に関する緊急対策(2019年)』において、登校指導について、「基本的には学校以外が担うべき業務」と位置づけられています。

教員の本来行うべき業務ではないということです。冷たく聞こえるかもしれませんが、各家庭や地域に責任をもって行っていただく、あるいは市が予算をつけて交通指導員を雇うなどする他ありません。

⑥挨拶運動廃止

そもそも勤務時間が始まる前から行われる挨拶運動は、本来行われるべきものではなかったのです。

これについても私は廃止を提案しました。

 

私が実践してきた働き方改革は上記6点です。

きっと、他にももっとできることはあるでしょう。

大事なのは、校長に任せっきりにするのではなく、自分自身が当事者として、校長に働きかけていくことなのだと私は考えます。

#37 我々教員が職場でできる働き方改革①

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は先日北九州で行った講演でもお話した、我々教員が職場でできることについて書きたいと思います。

病気休職者が出てもスルーする職員室

ある年、私が勤務する学校で病気休職者が出る事態となりました。

これは私が勤める学校だけではないと思いますが、職員室は病気休職者が出ても、その原因については一切触れず、何も変わらずそのまま日々が続いていきます。病気休職者が出ても、何も変わらず、そのことには触れもしない・・・毎年出る病気休職者への職員室の対応を見て、私はおかしいと思い始めていました。なぜなら、私にはその対応はさも病気休職者個人に問題があるという対処の仕方に見えたからです。

もちろん、病気に関わることですから、その詳細について本人が知られてほしくないということもあるでしょう。しかし、多くの場合、その原因の大きな一端に「長時間労働」があるのです。仮に保護者や児童生徒と上手くいかなくなってしまったケースにおいても、その根底には「長時間労働」があるのです。

ですから、そのとき私は、職員会議で『原因について、みんなで話し合うべきではないでしょうか』と提案しました。しかし、校長から『意見は聞きました』と言われ、終了しました。その後、校長はまったく動くことはありませんでした。

市公平委員会へ

納得がいかなかった私は、「校長は労働基準法を守る必要がある」として、次のように具体的に要望を出しました。

  • 教員の出勤時刻より前に児童を登校させないこと
  • 職員の休憩時間に全体にかかわる仕事を入れないこと
  • 時間外勤務において登下校の指導を入れないこと

結果。翌年、当時の校長は異動になりましたが、新校長により最初の職員会議で次の点が伝えられることになりました。

  • 児童の登校時刻は8時15分以降、職員の勤務開始は8時10分
  • 休憩時間の確保を確実に行うこと
  • 登校指導を廃止すること

 

このように、我々教員自身も校長だけに頼り切りになるのではなく、働き方改革においてできることがあるのです。

 

#36 教員の仕事・時間外労働が増えていった理由

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は、仕事が増え、時間外労働が増えていった理由について書きます。

はじめは一人ひとりの工夫

その昔、昭和時代ですが、教員は自主的・自律的であり、創造的な教育を試みていました。一人ひとりの教員が工夫を凝らし、その人の得意な分野で児童生徒に向き合い、特色ある教育を実践してきたのです。

しかし2000年以降、学校長の権限が強くなり、それら一人ひとりの教員の工夫を校長が学校全体で取り入れ、一律に行うようになったのです。

例えば、掲示物にコメントを入れることです。登校指導や朝のあいさつ運動もそうです。最初はある一人の教員が自主的に始めたことです。しかし、これは良い取り組みだとして、校長がすべての教員に行うように指示し始めたのです。一律に業務として指示されるようになったのです。

これが長時間労働の始まりです。

良い取り組みを校長が全教員に指示するように

さて、この仕事は自主的でしょうか。

言うまでもなく、これらの仕事は、学校長の命じた仕事であって、自主的ではありません。

教員の仕事は、教員自らが増やして来たように思われていますが、実は違います。

個々の教員がそれぞれ児童生徒に効果的な方策として試みてきたその結果を、学校長が良いもの全てを全教員に仕事として課してきた結果なのです。

#35 今、創造的な教育は皆無です

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は創造的な教育について、です。

2000年を境に変わった

教員には、自主的自律的で創造的な教育が求められるとして、国は1971年、給特法を制定しました。給特法を制定することによって、勤務時間管理を無くして、「自由裁量時間」を与えることにしたのです。

しかし、文科省は2000年を境に学校長の権限を強くしました。学校教育法の改正です。

「校長のリーダーシップのもとに」「公務員も民間並みに」「特色ある学校作り」などの言葉が増えていきました。さらに、人事評価制度が始まり、精神疾患による病気休職者も増えていきました。

校長一人に権限を与え過ぎたために、多様な意見が減り、”忖度”が始まりました。

そして、教員の長時間労働が当然のようになりました。

自由裁量時間がなくなった

2000年以前は学校長が求める仕事は勤務時間内に収まり、それ以上を求めると職員会議で反対されて実行不可能でしたが、権限を与えられた校長は、「1日の労働は8時間を超えてはならない」という労基法を無視しました。

また、それだけではなく、勤務時間内においても教員に指示を与えるようになりました。教員の「自由裁量時間」はなくなったのです。

“創造的な教育”は皆無となりました。

 

なぜこうなってしまったか。校長一人に権限を与え過ぎたからです。

今のままでは”忖度”ばかりの世の中になります。もっと自由で民主的な教育環境が必要です。

#34 夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないか

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

久しぶりに書きます。今回は教員の夏休み等の長期休業について、です。

夏休みに勤務の特殊性はありますか?

1971年、文科省は教員の「勤務の特殊性」を理由に給特法を作りました。その特殊性の一つが、夏休み等長期休業とされました。

当時長期休業には自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在するから一般労働者とは異なる特殊性があるという理屈でした。

しかし、実際、現在、その特殊性はあるのでしょうか。私には特殊性があるとは到底思えません。

今の長期休業は授業が行われないだけで、勤務形態は学期中と同じです。子どもたちが登校しないだけで、教員の勤務は通常通りなのです。

個人面談、備品整理、トイレ掃除、校内研修、教育課程研修、年次研修、遠足の下見、日直…その他様々な仕事が課せられています。学校閉庁、夏季休暇は5日間程度です。

また、自宅研修についても、文科省が2002年に発した通知を転換点として認められなくなりました。

埼玉大学(当時)の高橋哲准教授も、次のように説明されています。

当時の国会での議論は「教員は夏休みに長期休業期間等に自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在する。だから一般の労働者のような時間管理はなじまない」というもので、これが教員の「職務の特殊性」として説明されており、審議録にも残っています。当時の先生たちは、勤務時間内に校外の自主研修に参加することが可能で、教員組合主催の勉強会なども盛んでした。夏休みに学校外で研修に励むというのは普通のことでしたし、東京都の例では教師が自宅や校外で研究・研鑽できる「研修日」もあったのです。もっとも当時でさえ「昔と異なり夏休みの休暇というのは学校になくなってきているのが実態」という主張はありました。現在にいたっては、とてもそのような状況ではありません。

【引用:教師はなぜ苦しい職業になってしまったのか――給特法の矛盾に迫る】

巧妙に給特法が利用されている現状がある

給特法制定当初と状況が変化してきているのだから、私は今、教員の夏休み等長期休業の在り方を真剣に再考すべき時ではないかと感じています。

つまり、そこには特殊性などないと認めることです。(それは給特法の根拠が一つ失われることを意味します)

少なくとも、自宅研修を復活すべきです。

あるいは、それでも長期休業においては特殊性が存在するというのであれば、例えば一ヶ月間全ての休みで学期中の無賃残業の調整を図るべきです。

特殊性とは、そういうものです。

文科省や教育委員会は特殊性があると言いながら普通勤務を求める、私はその矛盾が許せません。彼らは、巧妙に給特法を利用しているのです。

今、夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないかと考えます。

#30 文科省に尋ねたいこと3つ

今日は、先日の記者会見でも話したことを書きたいと思います。

判決を受けて、文部科学省に尋ねたいことです。

①教員の長時間労働を自主的なものとして良いのか

教員の長時間労働の事実は確かです。

月に60時間の残業を行なっている事実が確かに存在します。しかもこれは私だけではありません。日本の多くの教員に60時間を超える時間外勤務の事実があるのです。これを労働と考えないで自主的なものとしているのが日本の公立学校教員の置かれた立場です。

月額1万円の教職調整額を出して、月に45時間働かせても問題なし。月に60時間働かせたら少し多いかな…。月に80時間働かせたら注意が必要。たとえ月に100時間を超えて働かせても管理者責任はなし。時間外勤務があっても無いことにする言い訳が通用してしまうのが日本の教員の労働環境です。

私が言いたいことは、給特法が残業代の支給を無しにして、超勤4項目以外は命じられないとした意味は何だったのか、ということです。

改めて文科省に問いたい。教員の長時間労働を自主的なものとして良いのでしょうか?

②授業の準備は5分で充分か?

次に、教材研究・授業準備についてです。

判決では、授業準備が5分という判決が出されました。授業をするにあたって、あらかじめ教える内容を把握するための教材研究は労働時間として認められませんでした。ここで判決は確定しました。

文科省は判決と同様に、教材研究の時間はゼロ、5分の授業準備で充分としているのでしょうか?

また、もし必要としているのならば勤務時間内のどの時間帯で行うことを求めているのでしょうか?

小学校では児童の学校滞在時間が午前8時より午後4時まで約8時間にわたります。教員の勤務時間は7時間45分です。教員が授業をするために行う教材研究を自主的・自律的勤務とするのでしょうか。文科省のはっきりとした答えを知りたいです。

③自発的とされた15の仕事についての見解

最後に、判決結果を踏まえた教員の働き方についてです。

下記は判決により、教員の労働時間として認められなかった15の仕事(教員の本来的業務=自発的行為とされた仕事)です。

これらの仕事について、文科省はどのように考えているのでしょうか?

当時は、係争中の案件については答えられないと避けていましたが、判決が確定されましたので、しっかりとした文科省の見解を求めたいです。

#29 判決の問題点9つ


先日、最高裁から上告棄却の連絡があり、埼玉教員超勤訴訟の終了しました。

改めて、ここで本訴訟の判決の問題点を書きます。

①時間管理が不能という点

自立的な職務と指揮命令に基づく職務が日常的に渾然一体になっているため、時間管理が不能であるという判決。高プロ労働者でさえ、労働時間管理義務は課せられています。なぜ教員には労務時間管理義務が課せられていないのでしょうか。私立学校国立付属小学校は勤務時間管理可能で公立学校は渾然一体とする根拠不明が問題です。

②校長の職務命令があったかどうかにすり替わった

原告の超過勤務の認定に対して、時間外勤務を命じることができない超勤4項目以外の仕事であったのかどうかの判断ではなく、校長の職務命令があったかどうかの判断にすり替わってしまっていたことが問題です。

③勤務時間前について

登校指導や朝会時の集合などは明らかに時間外勤務でした。しかも常態化していました。これが国賠法上の違法とならないのが理解できませんし、問題です。

④割り振りは事実上不可能

さらに勤務の割り振りが不可能なほど時間外勤務が常態化しているのにもかかわらず、それに対する処置を怠っている行政に問題があります。

⑤空き時間について

360時間の時間外勤務を認定しておきながら、空き時間にできたはずといういきなり判決に問題があります。原告の空き時間については職務専念義務が課せられていました。しかも空き時間についての原告の仕事状況については全く議論されていませんでした。原告の勤務時間内における自身の仕事についての詳しい説明を求められないままに仕事に携わっていた空き時間を判決に利用されたことは遺憾です。

⑥休憩時間について

教員の休憩時間についても同様です。原告の休憩時間に児童の指導、会議研修等仕事に携わっていた事実が認められています。しかし、それも全ての勤務時間の合算として処理されて判決が出されています。休憩時間が労基法上の休憩時間として裁判で認められていません。私は、歴史的大問題判決だと思っています。

⑦生活時間の軽視について

労働基準法違反に対する判断が、健康や安全確保に限られており、生活時間の確保がおろそかにされているという問題です。

⑧法解釈ばかりに終始した裁判所

教員の時間外勤務は明らかな事実です。自主的かどうかを判断しているのではなく、法律上の理論ばかりに終始している裁判所の在り方に問題があります。

⑨給特法が強者に利用されていることを理解しない裁判所

法律は弱者を保護するために作られているはずです。給特法もそうです。それが強者に利用されている現状を裁判所が理解できていないことに問題があります。

#28 私が「給特法廃止=長時間労働の解決」と楽観的になれない理由

今日は、給特法についての私の考えを記したいと思います。

給特法以前の問題がある

今、長時間労働を改善しようとする教員から給特法の廃止(あるいは改正)に向けた動きがあります。民間労働者同様、残業代を出させる法律に適用させることで、それを長時間残業の歯止めにするという考え方だと思います。その方向から本当に残業が抑制されるのであれば、それは素晴らしいことです。

しかし、私にはそう楽観的にはなれないところがあります。給特法廃止反対というわけではありませんが、「給特法廃止=長時間労働の解決」とは思えないのです。

なぜなら、それは給特法以前の問題があると考えているからです。

その問題とは、私の裁判でもみられるように、教委は教員が時間外勤務をしても、「学校長が命じていない」「教員の自主的な活動」と言って、労働そのものの存在を認めないことです。その証拠に本来、現給特法下においても「時間外勤務に対しては調整(勤務時間の割り振り)をしっかり行う」ことが必要にもかかわらず、実態はほとんどのケースにおいて時間外勤務が生じても労働の存在が認められていません。

つまり、給特法が廃止され、残業代を出さなければならない法律が適用になるからといって、労働(残業)の存在が認められるかどうかは、もう一つハードルが存在する可能性があるのです。

ですから、給特法廃止がすぐに長時間労働の解決に結びつくとは限らないというのが今の私の考えです。給特法以前の問題として、まずは教員の時間外勤務が労働として認められるかどうか、これが最大の問題と考えています。

いずれにしても時間外勤務が労働として認められる必要がある

私は、教員の時間外勤務が労働として認められるには、超勤4項目以外の教員の時間外勤務の在り方を明確にしていくこと=労働として認めることが必要と考え、裁判を起こしました。

しかし、残念ながら現状は大変厳しく、高裁の判決において、

超勤4項目に限らず、教員のあらゆる時間外での業務に関し、労基法37条の適用(8時間を超える労働に対する残業代の支給)を除外すると解するのが相当である。

とされ、これまでのところ従来からの包括論的解釈(※1)が支持される結果となっています。

※1 直接的な命令がなければ4項目に限らずその他の業務も時間外に行わせてもOK、それはあくまで教員の自主性によるものという解釈

ですが、給特法をそのまま生かすにせよ、廃止するにせよ、この包括論的解釈をきちんと否定することが必要不可欠と私は考えます。そうしなければ、結局のところ、残業が労働として扱われずに「自主的活動」とされてしまうのは同じだからです。超勤4項目以外の時間外勤務の在り方を明確にし、労働として認めることが何より重要なのは給特法の有無によって変わらない、そう思って裁判に臨んでいます。

この包括論的解釈をきちんと否定したうえで、「超勤4項目以外の仕事を命じられない」ことを使用者側にしっかりと守らせる仕組みづくりが必要なのだと思います。

教員の時間外勤務が労働として認められることが最重要

私が、「給特法廃止=長時間労働の解決」と楽観的になれない理由、ご理解いただけたでしょうか。

私は、「超勤4項目以外の時間外勤務が労働として認められること」、これが最重要ととらえています。

皆さんもこのことについて、一緒に考えていただければ幸いです。

#27 改めて教員の仕事は本当に「自主的」ですか?

いつもご支援ありがとうございます。

昨日、東京高裁より「棄却」の判決が出ました。

※判決文(PDF)については、こちらよりご覧いただけます。

今日は、判決を受けての私の思いを述べます。

テストの丸つけは仕事にあたりませんか?

現場の教員たちは、無賃で超長時間労働をさせられています。

(勤務時間後の)児童生徒が行なったテストの丸つけは、仕事にあたらないのでしょうか。

(勤務時間後の)授業の準備は、どうでしょうか。

(勤務時間後の)欠席児童への連絡は?

(勤務開始前の)朝の登校指導は仕事ではありませんか。

これらは、毎日のように行われている教員の仕事です。埼玉県教委ならびに裁判所は、これらの仕事を労働として認めず、教員が「自主的に」やっていることだとしました。

教員の仕事は本当に「自主的」ですか?

しかし、テストの丸つけ・授業の準備、欠席児童への連絡、朝の登校指導などは、本当に教員が「自主的に」やっていることなのでしょうか。

「自主的」かどうかは、本来、教員本人が決めることではないのでしょうか。

しかし、現場の教員たちは、教委ならびに裁判所から「自主的なこと」だとされ、夜遅くまで働かされているのです。

どう考えてもおかしいと思いませんか。

この仕組みは誰が作ったのか。

長い長い年月の間に、日本社会が作ってしまったのです。

午後7時過ぎ(休憩時間なしで既に労働開始12時間経過)に近くの学校に行って見てください。大勢の教員が職員室や教室で丸付けをしています。授業の準備をしています。欠席児童への電話連絡をしています。

これらは全て無賃です。残業代がつかないから残業に歯止めがききません。

昨日の高裁判決で、勤務時間外の丸つけが、授業準備が、欠席児童への連絡が、労働ではなく。教員の「自主的なこと」だと再度確認されてしまいました。

これらは本当に仕事ではないのでしょうか。

これらの仕事が労働として認められずに、遅くまで働かされることを知ったら、あなたは教員の仕事を選びますか。自分の子どもを教員にしますか。周りの人たちを教員にしますか。

今、教員が足りない問題は、このようなことが大きく関わっています。

あとは最高裁のみ


昨日の判決結果で、あとは最高裁判所の判断に頼るしかなくなりました。

最高裁に向けて、私もひと踏ん張りします。

ですから、みなさんももう一度考えてみてください。

「これからもこのままでいいと思いますか」

みなさんひとりひとりが考えてほしい。私はそう思っています。

最後に、今日まで田中まさおをご支援いただきました方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで今日までやってこれました。励まされてきました。

改めて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

いつもご支援いただきありがとうございます

twitter@埼玉超勤訴訟 田中まさお

CALL4 クラウドファンディング(「人間を育てる教員に、人間らしい働き方を」訴訟)

change org 【10​.​1判決】教員に違法な残業をさせないでください  

#26 高裁判決後の記者会見

現場の先生たちは確実に働かされています。
児童生徒が行ったテストの丸付けは仕事に当たりませんか?
授業の準備は仕事に当たりませんか?
欠席児童への連絡、これは仕事ではないですか?
朝の登校指導は仕事ではありませんか?
 
これらは毎日のように勤務時間外に行われている教員の仕事です。裁判所はこれらの仕事を労働として認めず教員が自主的にやっていることだとしています。
 
テストの丸付けは仕事ではなく教師が自主的にやってることですか?
授業の準備は、仕事ではなく教師が自主的にやっていることですか?
欠席児童への連絡は仕事ではなく教員が自主的にやっていることですか?
朝の登校指導はどうですか?
現場の先生たちは裁判所から自主的だと言われて遅くまで働かされているのです。
 
どう考えてもおかしいと思いませんか。
これらの仕事が仕事として認められないで、遅くまで働かされることを知ったらあなたは教員の仕事を選びますか?
自分の子どもを教員にしますか?
周りの人たちを教員にしますか?
 
今、教員が足りない問題はこのようなことが大きく関わっています。
私は今日の判決結果で、あとは最高裁判所の判断に頼るしかありません。

#25 健康被害はなくても「生活時間の侵害」を受けている

東京高裁での第二回控訴審においては、労働法の専門家・毛塚勝利先生に書いていただいた『鑑定意見書』を提出しました。

今回は、『意見書』のなかから特に重要なテーマの一つ、「生活時間の侵害」について書きます。

生活時間の侵害

一審判決では、敗訴の要因の一つに私自身が健康的な被害を受けていないということがありました。

しかし、毛塚先生は私も被害を受けていると書いてくださいました。それが「生活時間の侵害」です。

毛塚先生は次のように書いてくださいました。『意見書』からの抜粋です。

「教員の生活時間を侵食していること自体が、労働時間管理義務を怠り法定労働時間遵守義=生活時間配慮義務を怠っていることによる法益侵害なのであるから、国賠法上の違法性を認めて然るべきなのである」

「原告が被った損害としては、過重負担による肉体的精神負荷の増大にかかる損害のみならず、家庭人や市民として健全な家庭生活や社会生活を送る時間、また、教員として自己研鑽をはかる時間、つまり生活時間が侵害された精神的被害をも考慮することが求められる」

「労基法の法定労働時間の遵守は、健康配慮義務の観点以上に生活時間配慮義務の観点からより厳格に労働時間管理が求められると解しうる。1時間の限度時間超えはそのまま1時間の生活時間の侵食を意味するからである」

「労働法における労働時間規制の意味をもっぱら賃金確保や健康安全の確保の観点からのみ捉えてはならないこと、とりわけ生活時間の確保の観点から捉えることが肝要である」

1時間の残業は1時間の「生活時間の侵食」

毛塚先生の「1時間の残業は、そのまま1時間の生活時間の侵食を意味する」という指摘は大変重要です。

1時間の残業は単なる労働時間の増加なのではなく、1時間の生活時間の減少を意味する…、つまりそれだけ生活が侵害されているということです。

何も健康被害がないからといって許されるものではない、ということです。

振り返れば、私自身、長時間労働が慢性化してから、私は何年もの間、家庭での時間、余暇、趣味、友人関係、読書の時間など(教材研究でさえ)生活時間を奪われてきました。

家庭では家族との過ごす時間がなくなり、友人関係にいたっては消滅してしまった関係もあります。また、病気にはなっていないものの、休日は疲れ切っていて、余暇やレジャーなどは他人事になってしまいました。

私同様に、大勢の教員が健康被害まではいかなくても、「生活時間の侵害」を被ってきたのではないでしょうか。

学校現場が1日8時間の労働時間規制を遵守し「生活時間の確保」がしっかりとなされる職場になるような、その後押しとなる判決が出ることを強く望んでいます。

高裁判決は8月25日です。

なお、『意見書』全文はこちらからお読みいただけますので、ぜひお読みください。

#24 控訴審開始にあたり、田中まさおの思い

東京高裁での控訴審の開始が決定しましたので、お知らせいたします。

控訴審開始にあたり、私の思いも記述いたしますのでお読みいただけたら幸いです。

控訴審開始にあたり

埼玉県小学校教員の田中まさお(仮名)です。

いよいよ控訴審が始まります。宜しくお願いいたします。

 

文科省の働き方改革には本気度が足りない、この思いは私だけでしょうか。

私は、今から3年半前に埼玉県教育委員会を相手に訴訟を起こしました。教員の長時間(無賃)残業を是正するためです。しかし、2021年10月に出された埼玉地方裁判所の判決は、棄却でした。そのため、東京高等裁判所に控訴をしました。

教員の時間外勤務は全て無賃です。いくら働いても残業代は支給されません。そのために残業時間が抑制されない構造になっています。

小学校の教員は、朝の登校指導から始まり、コロナ禍による教室の消毒、窓の換気等をやらなくてはなりません。これらの仕事は勤務時間に収まらないことが往々にしてありますが、子供たちのためにはこれらの仕事に携わらずにはいられません。また、児童が帰った後にも莫大な仕事が課せられています。次の日の授業の準備はもとより、テストやプリントの丸付け、宿題や提出物の確認、様々な書類の提出等、仕事を挙げたらきりがありません。1日12時間以上の労働を強いられる教員も少なくありません。残業代なしで、です。

残業代が支払われないのにもかかわらず(というより管理職側からみれば残業代を支払う必要がないから)次から次へと仕事が要求されてきます。しかし、私はもうこれ以上は働けません。先日報道された、教員不足2500人のニュースはそれが私だけの問題ではないことを表しています。ですから、私はこの状況を次代を担う若い教員に引き継いではならない、そう考え、訴訟を起こしています。

冒頭に述べたとおり、文科省の働き方改革には本気度がありません。それは基本的な考え方に誤りがあるからです。文科省の考えは、時間外労働を教員の勤務(労働)ではなく、あくまですべて教員が「自主的に」行っている行為である、というものです。しかし、そもそもある労働について「自主的」に行ったかどうかを判断するのは、本来労働者であるはずではないか、というのが私の考えです。「自主的」という前提があるために、文科省の働き方改革では、本来の働き方改革の趣旨である「業務量の改善」や「労働基準法の遵守」などに手をつけられることがないのです。

確かに、私が訴訟を起こしてからのこの3年半の間で、職場にタイムカードが設置され、月45時間以上の勤務について学校長への啓発が行われるようになりました。それは僅かな前進かもしれません。

しかし、これは逆に言えば、月45時間までは無賃のまま働かせても問題ない(教員の「自主的」活動とする)ということでもあります。文科省はどのような法的根拠に基づき、月45時間残業代を支給せず働かせても良いと考えているのでしょうか。

田中まさおはこの考え方に真っ向から反対しています。45時間残業代ゼロの考え方を私は決して受け入れることができません。それは法的根拠があるものではなく、労働基準法に違反するものであるからです。教員も一般労働者と同じように、8時間を超える労働に対しては、残業代が支給されるべきです。(あるいは労働基準法が遵守され、8時間を超える労働をさせられるべきではないのです。)

本来、文科省のあるべき働き方改革は、まずもって「教員の時間外勤務を労働として認めること」と私は考えます。本訴訟は文科省にそのことをきちんと認識していただくための訴訟なのです。

田中まさおは、教員の時間外勤務が決して教員の自主的なものではなく、れっきとした労働として認められるものだということを控訴審でも訴え続けていきます。

 

詳しくは下記に添付する(裁判所に提出する)『控訴理由書』にも記載していますので、お時間があるときにお読みいただけたら幸いです。

それでは、3月10日より、東京高等裁判所における控訴審が始まります。引き続きのご支援を宜しくお願いいたします。

2022年2月13日 埼玉県教員超勤訴訟 田中まさお(仮名)

控訴理由書

控訴理由書(1)

いつもご支援いただきありがとうございます

twitter@埼玉超勤訴訟 田中まさお

CALL4 クラウドファンディング(「人間を育てる教員に、人間らしい働き方を」訴訟)

change org 【10​.​1判決】教員に違法な残業をさせないでください  

#23 地裁判決を受け、控訴のご報告

日頃より皆様のご支援・応援に感謝申し上げます。

先日、2021年(令和3年)10月1日に、2018年9月にさいたま地裁に提訴した超勤訴訟の地裁判決が出されました。判決につきましては、一部過去の裁判では労働として認められなかった仕事について労働と認められた部分があったものの、全体を通じては『敗訴』という結果になりました。私自身の力不足を痛感しております。

(判決概要・判決文全文はこちらのページでご覧いただけます)

私は裁判を通じて、毎日3時間を超える無賃の時間外労働を強いられている現状のなかで、労働基準法32条(8時間を超える労働をさせてはならないという法律)違反を訴えてきました。しかし、地裁判決は過去の教員裁判同様、「拘束するような形でなければ許される」という判決でした。原告としては、到底容認できるものではなく、控訴の手続きを行いました。

今回の判決を振り返り、所見を述べさせて頂きます。

現在の教育現場の実情を鑑みると、給特法の制定根拠とされていた、教員が自主的・自発的に業務に従事するという「職務の特殊性」、長期の休業期間があるという「勤務形態の特殊性」は、ほとんど存在しなくなったと考えております。そのため、教員の自主的で自律的な判断に基づく業務のために厳密な労働時間管理ができないなどとする理由は全く受け入れられません。そもそも、ある労働について「自主的」に行ったかどうかを判断するのは、本来労働者であるはずです。使用者の都合によって「自主的」に行ったかどうかが判断される以上、その労働は使用者によって「強制」されたものといわざるを得ないのでしょうか。いわば、教員の労働は『自主的という名の強制労働』に当たるのではないかというのが私の考えです。

このような労働が実際に存在する現状を容認するような判断は、国際社会では到底通用しないことでしょう。教員の時間外勤務は「自主的労働」か「強制労働」か。本控訴審が、日本のみならず世界中から注目される裁判になることを望んでいます。裁判所においては、国際社会に誇れるような、公平・公正な判断を心から望む次第です。

田中まさおは、学校教員の長時間労働抑制のため、法に基づいた働き方をしていくことができるよう、訴訟を通じて尽力していきたいと考えています。引き続きのご支援・応援をいただけますことを願っております。宜しくお願い申し上げます。

2021年(令和3年)12月12日 埼玉超勤訴訟 田中まさお(仮名)

 

twitter@埼玉超勤訴訟 田中まさお

CALL4 クラウドファンディング(「人間を育てる教員に、人間らしい働き方を」訴訟)

change org 【10​.​1判決】教員に違法な残業をさせないでください  

#22 職員会議で決められたことは「校長に命じられた業務」を意味する理由

現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため超過勤務訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。

今日は、「職員会議で決められたことは校長に命じられた業務」である理由について書きます。

理由1:職員会議は教職員間の協議に基づき、各教職員が自主的に協力するという性質のものではなくなった

平成12(2000)年、学校教育法の改正で施行規則48条で、職員会議の位置付けが変わりました。改正により、職員会議は、学校の管理運営に関する校長の権限と責任を前提として、校長が主宰し、その職務の円滑な執行を補助する機関として位置づけられたのです。

改正学校教育法施行規則48条

・小学校には、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。
・職員会議は、校長が主宰する。

また、文部科学省からは、上記法令の趣旨を徹底させるため、平成26(2014)年6月27日付で、職員会議の運用について、以下2点を内容とする通知が出されました。

①教職員の互選等により選ばれた議長団等の組織を設置し、校長以外の職員を議長とし、当該議長が職員会議を主宰することは、校長の権限を実質的に制約することから不適切であり、行うべきではないこと

②挙手や投票等の方法により、校長が自らの権限と責任において決定すべき事項について決定したり、校長の権限を実質的に制約したりすることは、法令等の趣旨に反し不適切であり、行うべきでないこと

そして、上記に反する規程や慣行が存在する場合には、速やかに規程や慣行の廃止・修正や学校への指導を行うことを各教育委員会に求めています。

このように、平成12年の改正により、職員会議の性質は大きく変化しました。それまでは挙手や投票など教員の意向が反映される場でしたが、この改正以降、職員会議は教員が話し合いや多数決によって決定する場ではないことが明確となったのです。

職員会議によって決定された事項は、教職員間の協議に基づき、各教職員が自主的に協力するという性質のものではなく、校長が自らの権限と責任において決定した「校長による業務命令」の性質を有しているものなのです。

理由2:たとえ直接的に校長の提案でなくても、承認・決定しているのは「校長」

また、職員会議を経て決定される事項については、校長に任命された「○○主任」を中心とする「○○部会」といった、校務分掌で割り振られた組織・役職によって、会議資料の作成や具体的な業務の提案が行われることが多いと思います。

これらは、学校運営を円滑に行うために校長から任命された職務です。つまり、校長の補助機関としての法的性質を有しています。

各機関では、校長の指導の下、校長の意向に沿った形で種々の業務の計画立案を行い、職員会議において提案が行われます。そして、提案された業務を校長が承認・決定することで、教員の仕事が作り出されます。

したがって、校務分掌で割り振られた組織・役職名により資料の作成や業務の提案が行われていることは、職員会議を通じて各教員に割り当てられた業務が校長によって命じられた業務であることを否定する事にはなりません。

たとえ校長が「命令する」「命じる」という言葉を用いなかったとしても、職員会議で決められたことは教員にとって校長に命じられた業務を意味する、ということです。

#21 教員の働き方改革において人を増やすことは解決方法にならないのではないか

現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため超過勤務訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。

今日は、「教員の働き方改革の解決方法」について書きます。

人を増やすか、仕事を減らすか

教員の働き方改革について、よく「人を増やすか、仕事を減らすか」と言われます。

しかし、結論からいうと、私は人を増やすことは抜本的な解決方法にはならないのではないかと思っています。

つまり、仕事を減らすしかないと考えています。

人を増やすことが解決方法にならない理由

確かに、仕事量が一定であれば、人を増やすことで改善が図れるでしょう。

しかし、いくら人を増やしたところで、仕事量の上限の定めがなければ(あるいはあったとしても形骸化していれば)、人が増えたところで仕事も増えてしまい、意味がありません。

実際、労働基準法で定められた1日8時間という上限があるにもかかわらず、現実には形骸化しているのが学校現場の実情です。

校長の労務管理を充分な権限により指導・監督する機関がなく、教育の仕事には終わりがないからです。

いわば現状は、校長の”仕事増やし放題”が許されている状況にあるのです。

解決方法は仕事を減らすこと

教員の働き方改革によって、何より重要なことは「仕事を減らすこと」に他なりません。

具体的には、

  • 文科省の仕事は「教師の仕事」と「そうでないもの」を明確に打ち出し周知すること、
  • 各教育委員会はの仕事はその実現を図り、校長の労務管理を監督・指導すること、
  • 各人事委員会は、民間の労働基準監督署と同様に監督・指導を行うこと
  • 学校長の仕事は労基法を遵守し、しっかりと労務管理を行うこと、
  • 教員は他の仕事の安請け合いをせず、教師の仕事に集中し、労働者としての権利を校長に求めること

などを行っていくことが必要なのではないかと私は考えます。

以上のように、教員の働き方改革の解決方法は、校長の”仕事増やし放題”を規制し、仕事量を減らしていく、これしかないのです。

#20 教員が17時以降に行っている53の仕事

現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため超過勤務訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。

今日は、「教員が17時以降に行っている仕事」について書きます。

『担任教師の毎日の勤務状況』

先日の第5回裁判で私は、勤務時間内を大幅に上回る仕事量を与えられている、その根拠として『担任教師の毎日の勤務状況』を示しました。

この『担任教師の毎日の勤務状況』は、各時間ごとに教員が行っている仕事を箇条書きにしてまとめたものです。

(裁判所に提出したものは、こちら(PDF)から見ていただくことができます)

教員が17時以降に行っている53の仕事

今日はこのなかから、勤務時間外の17時以降に行っている仕事について取りあげます。

私が一つひとつの仕事を挙げていった結果、教員は勤務時間外に53もの仕事を行っていることが明確になりました。

以下、その53の仕事です。

  1. 教室の整理整頓
  2. 掃除用具の確認
  3. 落とし物整理
  4. 教室の点検修理
  5. 教室の掲示物の管理
  6. 掲示物のペン入れ
  7. 作文のペン入れ
  8. 教室の掲示物作成
  9. 翌日の授業の準備 (教材研究等) 整理
  10. 提出物の確認
  11. 朝自習の準備
  12. ドリル・プリントの丸付け
  13. 出席簿の整理
  14. 保健関係の仕事
  15. 日直の仕事
  16. 週予定表や学級便りの作成
  17. 週案簿の作成
  18. 草取り
  19. パトロール
  20. 学級・学年会計
  21. 通知表の作成
  22. 自己評価申告シートの作成
  23. 校内研修指導案提出
  24. 指導訪問指導案提出(2年に1回)
  25. 学年便り作成
  26. 遠足宿泊学習資料作成・準備
  27. 非行防止教室・図書館教室・交通安全教室等の申込み・実施計画作成
  28. 児童理解研修資料作成
  29. チャイム教室のプラン作成・親への連絡
  30. 家庭訪問の計画表作成 ・実施
  31. 児童調査票確認
  32. 緊急連絡網作成
  33. 学級懇談会実施・懇談会資料の作成
  34. 授業参観の準備
  35. 安全点検
  36. 学校からの手紙配布のための綴込み
  37. メール登録の確認
  38. 学校行事の準備 準備(2年に1回)
  39. 児童の様子をウィンバードへ記入
  40. 保護者への対応
  41. 指導訪問前の の添削
  42. ノート点検
  43. 指導要録作成
  44. ノート等の添削
  45. 授業で行った作業
  46. 賞状の作成
  47. 児童相談
  48. 校内巡視・カギ閉め
  49. 扇風機の清掃とビニールかけ
  50. エアコンスイッチ入切記録簿提出
  51. 教室のワックスがけ
  52. その他
  53. 「超勤4項目」に該当する仕事

勤務時間外にこれだけの仕事をしながら、教師には残業代が出ません。

私の裁判は、教員にも残業代が支給されるようになることにより、教育行政・校長に仕事量を抑制するインセンティブを与えようとするものです。

私の裁判や教員の働き方について、興味をもっていただけたらと思います。

※教員の皆様へのお願いがあります。私が上記に挙げた53の仕事以外にも、17時以降に行っている仕事があれば教えてください。よろしくお願いいたします。