#41 残業を20時間に減らせるなら、残業代支給でも同じなのでは?

4月10日、衆院で給特法(教職調整額の引き上げ)の一部改正について審議が始まりました。

そのなかで石破総理は、「在校等時間(残業)を月に20時間にすることを目指す」と繰り返し答弁していました。

野党の様々なアイデア意見を断ってまで、「20時間にする」と信念をもって言ったのです。

残業20時間=教職調整額10%

今回の改正案では、数年かけて教職調整額を10%まで引き上げることが盛り込まれています。

10%という数字は、残業時間20時間分に相当します。

だから、石破総理は残業20時間に減らすことを目標とすると言ったのでしょう。

野党からは、順序が逆ではないのかとの指摘をされていました。つまり、残業代を出すのが先ではないかという指摘です。その通りだと思います。

費用:教職調整額10%=残業代支給

そこで、田中まさおは、こう思いました。

在校等時間(残業)を20時間に出来るならば、給特法を廃止して残業代支給にしてもかかる費用は変わらないのではないか。

同じ費用ならば、給特法を廃止して残業代支給にすればよいのではないか。

本当に、残業20時間まで縮減できるのであれば。

逆に言えば、残業代支給(給特法廃止)をしないで教職調整額引き上げでお茶を濁すやり方でメリットがあるのは、残業時間が20時間まで削減できない場合です。この場合は、教職調整額引き上げの方がかかる費用が少なくて済みます。

総理は文科省は本当に残業を20時間まで縮減できると考えているのでしょうか。

本気で、本当に本気で考えているなら、同じ費用の残業代支給(給特法廃止)にすべきです。

#40 教職調整額の引き上げ給特法改正案は、廃案にすべきです

4月10日、国会衆議院本会議にて給特法の一部改正案(教職調整額引き上げ等)についての審議が始まりました。その審議を見ての田中まさおの所感を記録しておこうと思います。

審議の前提が間違っている

今回の審議において、政府・文科省は「在校等時間を20時間以内に収める」と繰り返し言っていました。しかし、それ自体がおかしい。本来、時間外勤務はゼロであるべきです。元々の給特法の趣旨からすれば、残業はない前提なのに「20時間に収める」という発想自体がそもそもズレています。だから、教職調整額を1%ずつ引き上げるということ自体、おかしい。

政府・文科省は現場の先生たちの不満は分かっていません。法律違反の状態であること自体も、分かっていません。話が逆戻りしてる印象があります。

2020年、埼玉教員超勤訴訟の判決で裁判所は「給特法は限界にきている」とはっきり言いました。当時の萩生田文科大臣もその判決について記者に聞かれたとき、「給特法が限界に来ている」と言いました。今回はそれに基づいて法改正・廃止すべきなのに、そういう議論にはなっていません。

埼玉超勤訴訟の判決では、授業準備など時間外労働が一部認めらました。しかし、今回の国会審議はそれを前提に議論していません。自主的という名のもとに、教員の労働を例外扱いする考え方がまだ根強く残っています。法的には「労働」か「労働でない」かしかないのに、「自主的」という中間領域を勝手に設けてしまっています。

れいわの大石議員は16日の質疑で埼玉超勤訴訟を話題に出し、このことを踏まえた質問をしているように見えました。大石議員は、「教員にも労働基準法が適用されている」と言い、労基法には「労働」と「労働でないもの」しかないから、「自主的労働」なんていうカテゴリーは存在しないと言ったわけです。


一方、政府・文科省をはじめ野党も大石議員以外はそのことから議論を始めないから議論が根本からずれてしまっています。萩生田文科大臣(当時)は、そういった自主的労働の線引き自体を見直すべきと言っていたのに、そのことがなくなってしまっています。

法的に自発的時間(中間領域)なんて存在しない

ですから、本来最初にきちんと議論すべきなのは、「教員に労基法が適用されているかどうか」です。適用除外されているのは37条、つまり残業代の支払いに関する部分だけです。そこから、議論を始めなければなりません。

給特法があるから、教員には残業代が出ません。しかし実際には教員は残業しています。教育委員会は業務命令ではないと言い張っていますが、実質的には残業をしています。それも本来は労働基準法に基づけば、明らかに労働時間です。命令されてなくても業務上必要でやっているなら、それは労働時間です。だから「労働時間」と「非労働時間」、この2つしか労働基準法にはない。「中間領域」なんてないのです。

政府・文科省は「自発的な時間」という「中間領域」の概念を、法律を無視して持ち込んでいます。「中間領域」という概念をでっち上げたのです。今回の審議でも厚労大臣は「中間領域は存在しない」と明言していました。「労働」か「非労働」かのどちらかしかないのです。文科省が「中間領域」をでっち上げたのです。法的にそんなもの存在しないのに。

ただ、私の考えとは異なり給特法が「中間領域」を肯定するものであるなら、もう給特法は廃止するしかないと思います。「中間領域」を無くすには、もうそれしかありません。

教職調整額の引き上げについて

1年1%ずつ引き上げるとのことですが、本当は初年度から「最低でも10%」の教職調整額は必要です。それでも足りないかもしれない。文科省が10%と言ってるのは、そのくらいは出さなければ整合性が取れないからでしょう。

残業4%が8時間なので、10%は20時間分。つまり、20時間分の調整額を出さなければ、残業時間に見合わないということです。石破さんの「20時間」発言は、その10%に基づいたもので、文科省の内部で作られた数字でしょう。

今回は廃案にすべき

今回、調整額を1%ずつ上げて最終的に10%にするという話ですが、それは現状を追認してしまうことになります。だから私は今回の改正案に反対です。3000円程度のために働くなんて馬鹿らしい。今回は否決して、来年しっかり10%にするべきです。

給料が増えるって見方で賛成する人も多いけど、それが本当に教員の働き方改革になるのか、疑問です。認めてしまったら今までの議論が無駄になります。今回は否決して、じっくり本質的な改善に向けた議論をすべきです。今のままならまだ議論できます。

法律が通ったら下手をするとあと10年、様子を見るだけになってしまいます。今回の改正案は、むしろ通さない方がいい。法律が通ることで、変な前提が固定されて次のステップが取りにくくなります。議論を邪魔する存在にさえなります。

文科省へパブコメを送りました

教職調整額を10%に引き上げるなどの提言を行った、先日の中教審の審議について、文科省がパブリックコメントを受け付けるとのことで、私、田中まさおも意見を送ってみました。

①時間外勤務を「労働」と「自主的」に峻別すべき

中教審の審議では教職調整額を引き上げるとのことですが、教職調整額は残業代ではないし、給特法は教員の時間外勤務を自主的労働とする法律ではありません。しかし、今回の審議をみていても、教員の時間外勤務のすべて自主的とする考え方に変わりがないようです。

まず大前提として、給特法下においても公立学校教員も労働基準法が適用されています。

ですから、時間外勤務について、その業務が労働条件を満たしているかしっかりと吟味する必要があると私は考えます。つまり、その時間外勤務を「労働」として扱うべきなのか、あるいは「自主的」なものとして扱われるべきなのかを峻別していくことです。

これまでのようにすべての時間外勤務を「自主的」と扱うのは無理があります。持続可能ではありません。

ですから、時間外勤務のうち、その業務が学校経営上の利益を有しているのならば、それはもう「労働」として認められるべきなのです。

時間外勤務の内容を吟味することをすっ飛ばし、簡単だからと教職調整額を増額しても、現場の教員や学生からの支持は得られませんし、状況は改善していきません。

中教審及び文科省には、まず時間外の勤務内容をしっかりと把握して、それが労働に当たるかどうかを峻別することを求めます。

②労務管理について罰則規定を設けるべき

私の裁判(埼玉教員超勤訴訟)判決でも、部分的ではありますが条件がそろえば教員の時間外勤務も労基法上の労働として認められています。

判決では、校長の指示があり、また勤務時間外に行わざるを得えない(物理的に勤務時間内に行うことが不可能な)場合、給特法下においてもそれは労働として認められたのです。

ですから、上記に述べたように、時間外勤務を「労働」と「自主的」を峻別した後、「労働」として扱うものについては、校長・教育委員会に厳格な労務管理を行わせるべきです。

使用者の労務管理について、現在は民間とは異なり、罰則規定などはありません。しかし、罰則規定を設けなければ、厳格な労務管理は実現しません。ですから、公立学校教員にも罰則規定をもって、使用者(校長・教育委員会)の責任を明確にしていくことが必要だと考えます。

 

中教審及び文科省は、調整額の増額などというお金で解決するのではなく、給特法が本来求めている時間外勤務を限りなくゼロにする方向に向かうための施策を考えるべきであり、私は上記の2つを提案いたします。

#39 何が労働なのかを明確に基準を示すべき。残業すべて「自主的」はもう無理です

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今、中教審では教員の処遇改善について話し合いが行われています。

そこでは教職調整額の増額が処遇改善の目玉として取り上げられているようですが、田中まさおは問題はそこではないと思うのです。

今日はそのことを綴りたいと思います。

教員の労働問題のミソは残業が「自主的」とされてしまうこと

教員の労働問題のミソは、教員の時間外業務が労働として認められないこと、つまり残業が「自主的」だと扱われてしまうことです。

ここの問題を解決しない限り、いくら教職調整額を増額しようが、長時間労働は解決しません。

何時間働かされても、結局「自主的」の一言で済まされてしまうからです。しかも、増額といっても、調整額2万円程度(で45時間の残業)なのです。2万円で45時間(時給444円)働く人はいません。

この時間外業務の「自主的」な扱いを改めることが、私は教員の長時間労働を解決する唯一無二の道だと思っています。

「自主的」と扱われるのは、極めて不当

これまで教員は「労務管理が難しい」「世の中から求められている」として、時間外業務=「自主的」とされてきました。私が起こした裁判の判決でもそうです。

しかし、「労務管理が難しい」といいますが、給特法の対象外である国立付属校や私立校は労務管理を行っており、また世の中から自主性が期待されているのは教員に限らず公務員全体に当てはまりますが、一般公務員の残業は労働として認められています。

つまり、公立学校教員だけが残業を「自主的」と扱われるのは、極めて不当なのです。

そもそも、文科省・教育委員会・学校長は、教員の意志を確認していません。意志に関係なく「自主的」扱いです。教員本人が「自主的」と思っていなくても、他者が勝手に「自主的」とするのです。こんな理不尽なことがあるでしょうか。

何が労働かを明確に示すべき

今、教員は、仕事の何が「労働」で、何が「自主的」なのか、基準がまったくないなか、すべて「自主的」と扱われ働かされ続けています。

仕事内容で労働か「自主的か」を判断されるのではなく、勤務時間外即ち全て「自主的」となるのです。この状況はどう考えても不合理で、とても持続可能ではありません。もう無理なのです。

ですから、この問題の解決には、何が労働であって、何が自主的か、明確にする必要があります。(あるいは、業務の切り分けが出来ないのであれば、教員の残業を全て労働と認めるべきです。)その判断基準が存在しないまま、長時間労働が解決するわけがありません。

それなのに、中教審の審議会は、そのことには一切触れていません。そのことから逃げているのです。

教職調整額を増額することでお茶を濁し、時間外勤務は「自主的」なものとしたままでは教員の働き方は改善されません。限りのない時間外勤務は永遠に存在し続けます。

教員の時間外業務をきちんと労働と認めるべきなのです。そのために何が労働であるか基準を示すべきです。労働を正当に認めず、「自主的」と放置し続けるのであれば状況は何も改善しません。

また、中教審だけではありません。教員の方にもアクションが必要です。今、校長による(事実上の)時間外勤務の強要に抵抗しているのは一部の教員だけですが、教員全体が団結し、「自主的労働」にしっかりと反対の意志を示すべきです。

#38 我々教員が職場でできる働き方改革②

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は前回に引き続き、我々教員が職場でできることについて書きたいと思います。

私が実際に職場で提案・実践した6つの内容です。

すべて校長の承認なければ実現不可能なことではありますが、ただ上から降ってくるのを待つのではなく、我々から教員から提案していくこともできるはずです。

①勤務時間外は留守番電話にする

勤務時間外を留守電にすることによって、時間外労働を防止します。(私の訴訟でも明らかになったように保護者への電話対応は、校長の指示がない限り、労働にあたりません)

これには副産物もあります。勤務時間外を留守電にすることで、保護者の方々にも教員の勤務時間を意識していただけるのです。役所や銀行と同じで、学校にも受付時間があるのです。

緊急の要件については教育委員会につながるようにすれば尚良いでしょう。

②指導案の簡略化

教育委員会が訪問するからといって、校長が指導案を作成するよう指示することがありましたが、基本的には作成しない(させない)、作成するとしても簡単な略案、既成のものを利用するなど、指導案の作成を簡略化しました。

③学校行事の準備は勤務時間内で行う

これまで学校行事があると、行事だから仕方ないかといって、勤務時間が無視されることが多かったですが、計画段階から勤務時間内でやることを意識し、その時間内でできることを行うことをしました。

④家庭訪問(個人面談)を勤務時間内で行う

③同様です。

⑤登下校指導廃止

文科省から出された『学校における働き方改革に関する緊急対策(2019年)』において、登校指導について、「基本的には学校以外が担うべき業務」と位置づけられています。

教員の本来行うべき業務ではないということです。冷たく聞こえるかもしれませんが、各家庭や地域に責任をもって行っていただく、あるいは市が予算をつけて交通指導員を雇うなどする他ありません。

⑥挨拶運動廃止

そもそも勤務時間が始まる前から行われる挨拶運動は、本来行われるべきものではなかったのです。

これについても私は廃止を提案しました。

 

私が実践してきた働き方改革は上記6点です。

きっと、他にももっとできることはあるでしょう。

大事なのは、校長に任せっきりにするのではなく、自分自身が当事者として、校長に働きかけていくことなのだと私は考えます。

#37 我々教員が職場でできる働き方改革①

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は先日北九州で行った講演でもお話した、我々教員が職場でできることについて書きたいと思います。

病気休職者が出てもスルーする職員室

ある年、私が勤務する学校で病気休職者が出る事態となりました。

これは私が勤める学校だけではないと思いますが、職員室は病気休職者が出ても、その原因については一切触れず、何も変わらずそのまま日々が続いていきます。病気休職者が出ても、何も変わらず、そのことには触れもしない・・・毎年出る病気休職者への職員室の対応を見て、私はおかしいと思い始めていました。なぜなら、私にはその対応はさも病気休職者個人に問題があるという対処の仕方に見えたからです。

もちろん、病気に関わることですから、その詳細について本人が知られてほしくないということもあるでしょう。しかし、多くの場合、その原因の大きな一端に「長時間労働」があるのです。仮に保護者や児童生徒と上手くいかなくなってしまったケースにおいても、その根底には「長時間労働」があるのです。

ですから、そのとき私は、職員会議で『原因について、みんなで話し合うべきではないでしょうか』と提案しました。しかし、校長から『意見は聞きました』と言われ、終了しました。その後、校長はまったく動くことはありませんでした。

市公平委員会へ

納得がいかなかった私は、「校長は労働基準法を守る必要がある」として、次のように具体的に要望を出しました。

  • 教員の出勤時刻より前に児童を登校させないこと
  • 職員の休憩時間に全体にかかわる仕事を入れないこと
  • 時間外勤務において登下校の指導を入れないこと

結果。翌年、当時の校長は異動になりましたが、新校長により最初の職員会議で次の点が伝えられることになりました。

  • 児童の登校時刻は8時15分以降、職員の勤務開始は8時10分
  • 休憩時間の確保を確実に行うこと
  • 登校指導を廃止すること

 

このように、我々教員自身も校長だけに頼り切りになるのではなく、働き方改革においてできることがあるのです。

 

#36 教員の仕事・時間外労働が増えていった理由

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は、仕事が増え、時間外労働が増えていった理由について書きます。

はじめは一人ひとりの工夫

その昔、昭和時代ですが、教員は自主的・自律的であり、創造的な教育を試みていました。一人ひとりの教員が工夫を凝らし、その人の得意な分野で児童生徒に向き合い、特色ある教育を実践してきたのです。

しかし2000年以降、学校長の権限が強くなり、それら一人ひとりの教員の工夫を校長が学校全体で取り入れ、一律に行うようになったのです。

例えば、掲示物にコメントを入れることです。登校指導や朝のあいさつ運動もそうです。最初はある一人の教員が自主的に始めたことです。しかし、これは良い取り組みだとして、校長がすべての教員に行うように指示し始めたのです。一律に業務として指示されるようになったのです。

これが長時間労働の始まりです。

良い取り組みを校長が全教員に指示するように

さて、この仕事は自主的でしょうか。

言うまでもなく、これらの仕事は、学校長の命じた仕事であって、自主的ではありません。

教員の仕事は、教員自らが増やして来たように思われていますが、実は違います。

個々の教員がそれぞれ児童生徒に効果的な方策として試みてきたその結果を、学校長が良いもの全てを全教員に仕事として課してきた結果なのです。

#35 今、創造的な教育は皆無です

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

今回は創造的な教育について、です。

2000年を境に変わった

教員には、自主的自律的で創造的な教育が求められるとして、国は1971年、給特法を制定しました。給特法を制定することによって、勤務時間管理を無くして、「自由裁量時間」を与えることにしたのです。

しかし、文科省は2000年を境に学校長の権限を強くしました。学校教育法の改正です。

「校長のリーダーシップのもとに」「公務員も民間並みに」「特色ある学校作り」などの言葉が増えていきました。さらに、人事評価制度が始まり、精神疾患による病気休職者も増えていきました。

校長一人に権限を与え過ぎたために、多様な意見が減り、”忖度”が始まりました。

そして、教員の長時間労働が当然のようになりました。

自由裁量時間がなくなった

2000年以前は学校長が求める仕事は勤務時間内に収まり、それ以上を求めると職員会議で反対されて実行不可能でしたが、権限を与えられた校長は、「1日の労働は8時間を超えてはならない」という労基法を無視しました。

また、それだけではなく、勤務時間内においても教員に指示を与えるようになりました。教員の「自由裁量時間」はなくなったのです。

“創造的な教育”は皆無となりました。

 

なぜこうなってしまったか。校長一人に権限を与え過ぎたからです。

今のままでは”忖度”ばかりの世の中になります。もっと自由で民主的な教育環境が必要です。

#34 夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないか

埼玉教員超勤訴訟の田中まさおです。

久しぶりに書きます。今回は教員の夏休み等の長期休業について、です。

夏休みに勤務の特殊性はありますか?

1971年、文科省は教員の「勤務の特殊性」を理由に給特法を作りました。その特殊性の一つが、夏休み等長期休業とされました。

当時長期休業には自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在するから一般労働者とは異なる特殊性があるという理屈でした。

しかし、実際、現在、その特殊性はあるのでしょうか。私には特殊性があるとは到底思えません。

今の長期休業は授業が行われないだけで、勤務形態は学期中と同じです。子どもたちが登校しないだけで、教員の勤務は通常通りなのです。

個人面談、備品整理、トイレ掃除、校内研修、教育課程研修、年次研修、遠足の下見、日直…その他様々な仕事が課せられています。学校閉庁、夏季休暇は5日間程度です。

また、自宅研修についても、文科省が2002年に発した通知を転換点として認められなくなりました。

埼玉大学(当時)の高橋哲准教授も、次のように説明されています。

当時の国会での議論は「教員は夏休みに長期休業期間等に自宅や学校外で自主的に研修を行うなど、勤務時間内に自由な時間が存在する。だから一般の労働者のような時間管理はなじまない」というもので、これが教員の「職務の特殊性」として説明されており、審議録にも残っています。当時の先生たちは、勤務時間内に校外の自主研修に参加することが可能で、教員組合主催の勉強会なども盛んでした。夏休みに学校外で研修に励むというのは普通のことでしたし、東京都の例では教師が自宅や校外で研究・研鑽できる「研修日」もあったのです。もっとも当時でさえ「昔と異なり夏休みの休暇というのは学校になくなってきているのが実態」という主張はありました。現在にいたっては、とてもそのような状況ではありません。

【引用:教師はなぜ苦しい職業になってしまったのか――給特法の矛盾に迫る】

巧妙に給特法が利用されている現状がある

給特法制定当初と状況が変化してきているのだから、私は今、教員の夏休み等長期休業の在り方を真剣に再考すべき時ではないかと感じています。

つまり、そこには特殊性などないと認めることです。(それは給特法の根拠が一つ失われることを意味します)

少なくとも、自宅研修を復活すべきです。

あるいは、それでも長期休業においては特殊性が存在するというのであれば、例えば一ヶ月間全ての休みで学期中の無賃残業の調整を図るべきです。

特殊性とは、そういうものです。

文科省や教育委員会は特殊性があると言いながら普通勤務を求める、私はその矛盾が許せません。彼らは、巧妙に給特法を利用しているのです。

今、夏休み等長期休業の在り方についても真剣に考える時ではないかと考えます。

#30 文科省に尋ねたいこと3つ

今日は、先日の記者会見でも話したことを書きたいと思います。

判決を受けて、文部科学省に尋ねたいことです。

①教員の長時間労働を自主的なものとして良いのか

教員の長時間労働の事実は確かです。

月に60時間の残業を行なっている事実が確かに存在します。しかもこれは私だけではありません。日本の多くの教員に60時間を超える時間外勤務の事実があるのです。これを労働と考えないで自主的なものとしているのが日本の公立学校教員の置かれた立場です。

月額1万円の教職調整額を出して、月に45時間働かせても問題なし。月に60時間働かせたら少し多いかな…。月に80時間働かせたら注意が必要。たとえ月に100時間を超えて働かせても管理者責任はなし。時間外勤務があっても無いことにする言い訳が通用してしまうのが日本の教員の労働環境です。

私が言いたいことは、給特法が残業代の支給を無しにして、超勤4項目以外は命じられないとした意味は何だったのか、ということです。

改めて文科省に問いたい。教員の長時間労働を自主的なものとして良いのでしょうか?

②授業の準備は5分で充分か?

次に、教材研究・授業準備についてです。

判決では、授業準備が5分という判決が出されました。授業をするにあたって、あらかじめ教える内容を把握するための教材研究は労働時間として認められませんでした。ここで判決は確定しました。

文科省は判決と同様に、教材研究の時間はゼロ、5分の授業準備で充分としているのでしょうか?

また、もし必要としているのならば勤務時間内のどの時間帯で行うことを求めているのでしょうか?

小学校では児童の学校滞在時間が午前8時より午後4時まで約8時間にわたります。教員の勤務時間は7時間45分です。教員が授業をするために行う教材研究を自主的・自律的勤務とするのでしょうか。文科省のはっきりとした答えを知りたいです。

③自発的とされた15の仕事についての見解

最後に、判決結果を踏まえた教員の働き方についてです。

下記は判決により、教員の労働時間として認められなかった15の仕事(教員の本来的業務=自発的行為とされた仕事)です。

これらの仕事について、文科省はどのように考えているのでしょうか?

当時は、係争中の案件については答えられないと避けていましたが、判決が確定されましたので、しっかりとした文科省の見解を求めたいです。