東京高裁での控訴審の開始が決定しましたので、お知らせいたします。
控訴審開始にあたり、私の思いも記述いたしますのでお読みいただけたら幸いです。
控訴審開始にあたり
埼玉県小学校教員の田中まさお(仮名)です。
いよいよ控訴審が始まります。宜しくお願いいたします。
文科省の働き方改革には本気度が足りない、この思いは私だけでしょうか。
私は、今から3年半前に埼玉県教育委員会を相手に訴訟を起こしました。教員の長時間(無賃)残業を是正するためです。しかし、2021年10月に出された埼玉地方裁判所の判決は、棄却でした。そのため、東京高等裁判所に控訴をしました。
教員の時間外勤務は全て無賃です。いくら働いても残業代は支給されません。そのために残業時間が抑制されない構造になっています。
小学校の教員は、朝の登校指導から始まり、コロナ禍による教室の消毒、窓の換気等をやらなくてはなりません。これらの仕事は勤務時間に収まらないことが往々にしてありますが、子供たちのためにはこれらの仕事に携わらずにはいられません。また、児童が帰った後にも莫大な仕事が課せられています。次の日の授業の準備はもとより、テストやプリントの丸付け、宿題や提出物の確認、様々な書類の提出等、仕事を挙げたらきりがありません。1日12時間以上の労働を強いられる教員も少なくありません。残業代なしで、です。
残業代が支払われないのにもかかわらず(というより管理職側からみれば残業代を支払う必要がないから)次から次へと仕事が要求されてきます。しかし、私はもうこれ以上は働けません。先日報道された、教員不足2500人のニュースはそれが私だけの問題ではないことを表しています。ですから、私はこの状況を次代を担う若い教員に引き継いではならない、そう考え、訴訟を起こしています。
冒頭に述べたとおり、文科省の働き方改革には本気度がありません。それは基本的な考え方に誤りがあるからです。文科省の考えは、時間外労働を教員の勤務(労働)ではなく、あくまですべて教員が「自主的に」行っている行為である、というものです。しかし、そもそもある労働について「自主的」に行ったかどうかを判断するのは、本来労働者であるはずではないか、というのが私の考えです。「自主的」という前提があるために、文科省の働き方改革では、本来の働き方改革の趣旨である「業務量の改善」や「労働基準法の遵守」などに手をつけられることがないのです。
確かに、私が訴訟を起こしてからのこの3年半の間で、職場にタイムカードが設置され、月45時間以上の勤務について学校長への啓発が行われるようになりました。それは僅かな前進かもしれません。
しかし、これは逆に言えば、月45時間までは無賃のまま働かせても問題ない(教員の「自主的」活動とする)ということでもあります。文科省はどのような法的根拠に基づき、月45時間残業代を支給せず働かせても良いと考えているのでしょうか。
田中まさおはこの考え方に真っ向から反対しています。45時間残業代ゼロの考え方を私は決して受け入れることができません。それは法的根拠があるものではなく、労働基準法に違反するものであるからです。教員も一般労働者と同じように、8時間を超える労働に対しては、残業代が支給されるべきです。(あるいは労働基準法が遵守され、8時間を超える労働をさせられるべきではないのです。)
本来、文科省のあるべき働き方改革は、まずもって「教員の時間外勤務を労働として認めること」と私は考えます。本訴訟は文科省にそのことをきちんと認識していただくための訴訟なのです。
田中まさおは、教員の時間外勤務が決して教員の自主的なものではなく、れっきとした労働として認められるものだということを控訴審でも訴え続けていきます。
詳しくは下記に添付する(裁判所に提出する)『控訴理由書』にも記載していますので、お時間があるときにお読みいただけたら幸いです。
それでは、3月10日より、東京高等裁判所における控訴審が始まります。引き続きのご支援を宜しくお願いいたします。
2022年2月13日 埼玉県教員超勤訴訟 田中まさお(仮名)