#25 健康被害はなくても「生活時間の侵害」を受けている

東京高裁での第二回控訴審においては、労働法の専門家・毛塚勝利先生に書いていただいた『鑑定意見書』を提出しました。

今回は、『意見書』のなかから特に重要なテーマの一つ、「生活時間の侵害」について書きます。

生活時間の侵害

一審判決では、敗訴の要因の一つに私自身が健康的な被害を受けていないということがありました。

しかし、毛塚先生は私も被害を受けていると書いてくださいました。それが「生活時間の侵害」です。

毛塚先生は次のように書いてくださいました。『意見書』からの抜粋です。

「教員の生活時間を侵食していること自体が、労働時間管理義務を怠り法定労働時間遵守義=生活時間配慮義務を怠っていることによる法益侵害なのであるから、国賠法上の違法性を認めて然るべきなのである」

「原告が被った損害としては、過重負担による肉体的精神負荷の増大にかかる損害のみならず、家庭人や市民として健全な家庭生活や社会生活を送る時間、また、教員として自己研鑽をはかる時間、つまり生活時間が侵害された精神的被害をも考慮することが求められる」

「労基法の法定労働時間の遵守は、健康配慮義務の観点以上に生活時間配慮義務の観点からより厳格に労働時間管理が求められると解しうる。1時間の限度時間超えはそのまま1時間の生活時間の侵食を意味するからである」

「労働法における労働時間規制の意味をもっぱら賃金確保や健康安全の確保の観点からのみ捉えてはならないこと、とりわけ生活時間の確保の観点から捉えることが肝要である」

1時間の残業は1時間の「生活時間の侵食」

毛塚先生の「1時間の残業は、そのまま1時間の生活時間の侵食を意味する」という指摘は大変重要です。

1時間の残業は単なる労働時間の増加なのではなく、1時間の生活時間の減少を意味する…、つまりそれだけ生活が侵害されているということです。

何も健康被害がないからといって許されるものではない、ということです。

振り返れば、私自身、長時間労働が慢性化してから、私は何年もの間、家庭での時間、余暇、趣味、友人関係、読書の時間など(教材研究でさえ)生活時間を奪われてきました。

家庭では家族との過ごす時間がなくなり、友人関係にいたっては消滅してしまった関係もあります。また、病気にはなっていないものの、休日は疲れ切っていて、余暇やレジャーなどは他人事になってしまいました。

私同様に、大勢の教員が健康被害まではいかなくても、「生活時間の侵害」を被ってきたのではないでしょうか。

学校現場が1日8時間の労働時間規制を遵守し「生活時間の確保」がしっかりとなされる職場になるような、その後押しとなる判決が出ることを強く望んでいます。

高裁判決は8月25日です。

なお、『意見書』全文はこちらからお読みいただけますので、ぜひお読みください。