いつもご支援ありがとうございます。
昨日、東京高裁より「棄却」の判決が出ました。
※判決文(PDF)については、こちらよりご覧いただけます。
今日は、判決を受けての私の思いを述べます。
テストの丸つけは仕事にあたりませんか?
現場の教員たちは、無賃で超長時間労働をさせられています。
(勤務時間後の)児童生徒が行なったテストの丸つけは、仕事にあたらないのでしょうか。
(勤務時間後の)授業の準備は、どうでしょうか。
(勤務時間後の)欠席児童への連絡は?
(勤務開始前の)朝の登校指導は仕事ではありませんか。
これらは、毎日のように行われている教員の仕事です。埼玉県教委ならびに裁判所は、これらの仕事を労働として認めず、教員が「自主的に」やっていることだとしました。
教員の仕事は本当に「自主的」ですか?
しかし、テストの丸つけ・授業の準備、欠席児童への連絡、朝の登校指導などは、本当に教員が「自主的に」やっていることなのでしょうか。
「自主的」かどうかは、本来、教員本人が決めることではないのでしょうか。
しかし、現場の教員たちは、教委ならびに裁判所から「自主的なこと」だとされ、夜遅くまで働かされているのです。
どう考えてもおかしいと思いませんか。
この仕組みは誰が作ったのか。
長い長い年月の間に、日本社会が作ってしまったのです。
午後7時過ぎ(休憩時間なしで既に労働開始12時間経過)に近くの学校に行って見てください。大勢の教員が職員室や教室で丸付けをしています。授業の準備をしています。欠席児童への電話連絡をしています。
これらは全て無賃です。残業代がつかないから残業に歯止めがききません。
昨日の高裁判決で、勤務時間外の丸つけが、授業準備が、欠席児童への連絡が、労働ではなく。教員の「自主的なこと」だと再度確認されてしまいました。
これらは本当に仕事ではないのでしょうか。
これらの仕事が労働として認められずに、遅くまで働かされることを知ったら、あなたは教員の仕事を選びますか。自分の子どもを教員にしますか。周りの人たちを教員にしますか。
今、教員が足りない問題は、このようなことが大きく関わっています。
あとは最高裁のみ
東京高裁から判決が下りました。結果は棄却です。教員仕事は自主的を求められている、と裁判長は言っていました。地裁判決よりも後退した感じを受けます。
教員の時間外勤務において、自主的かどうかを決めるのは教員自身であり、雇用者が自主的を決めるのがおかしいです。私は最高裁に上告します。— 埼玉教員超勤訴訟・田中まさお (@trialsaitama) August 25, 2022
昨日の判決結果で、あとは最高裁判所の判断に頼るしかなくなりました。
最高裁に向けて、私もひと踏ん張りします。
ですから、みなさんももう一度考えてみてください。
「これからもこのままでいいと思いますか」
みなさんひとりひとりが考えてほしい。私はそう思っています。
最後に、今日まで田中まさおをご支援いただきました方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで今日までやってこれました。励まされてきました。
改めて御礼を申し上げます。ありがとうございます。
妻が教員をやっております。田中様の活動をいつも応援しております。
一つ思うことが、もしブログにあるように、
(勤務時間後の)児童生徒が行なったテストの丸つけ
(勤務時間後の)授業の準備
(勤務時間後の)欠席児童への連絡
(勤務開始前の)朝の登校指導
が業務に当たらないのであれば田中さまの判例を持ち出し、学校の教員全員でその業務と認められないものをせずに、判例で認められた業務のみをすれば、もしかしたら、国家も動かざるを得ないかなと思ったのですが、どう思われますか?