今日は、給特法についての私の考えを記したいと思います。
給特法以前の問題がある
今、長時間労働を改善しようとする教員から給特法の廃止(あるいは改正)に向けた動きがあります。民間労働者同様、残業代を出させる法律に適用させることで、それを長時間残業の歯止めにするという考え方だと思います。その方向から本当に残業が抑制されるのであれば、それは素晴らしいことです。
しかし、私にはそう楽観的にはなれないところがあります。給特法廃止反対というわけではありませんが、「給特法廃止=長時間労働の解決」とは思えないのです。
なぜなら、それは給特法以前の問題があると考えているからです。
その問題とは、私の裁判でもみられるように、教委は教員が時間外勤務をしても、「学校長が命じていない」「教員の自主的な活動」と言って、労働そのものの存在を認めないことです。その証拠に本来、現給特法下においても「時間外勤務に対しては調整(勤務時間の割り振り)をしっかり行う」ことが必要にもかかわらず、実態はほとんどのケースにおいて時間外勤務が生じても労働の存在が認められていません。
つまり、給特法が廃止され、残業代を出さなければならない法律が適用になるからといって、労働(残業)の存在が認められるかどうかは、もう一つハードルが存在する可能性があるのです。
ですから、給特法廃止がすぐに長時間労働の解決に結びつくとは限らないというのが今の私の考えです。給特法以前の問題として、まずは教員の時間外勤務が労働として認められるかどうか、これが最大の問題と考えています。
いずれにしても時間外勤務が労働として認められる必要がある
私は、教員の時間外勤務が労働として認められるには、超勤4項目以外の教員の時間外勤務の在り方を明確にしていくこと=労働として認めることが必要と考え、裁判を起こしました。
しかし、残念ながら現状は大変厳しく、高裁の判決において、
超勤4項目に限らず、教員のあらゆる時間外での業務に関し、労基法37条の適用(8時間を超える労働に対する残業代の支給)を除外すると解するのが相当である。
とされ、これまでのところ従来からの包括論的解釈(※1)が支持される結果となっています。
※1 直接的な命令がなければ4項目に限らずその他の業務も時間外に行わせてもOK、それはあくまで教員の自主性によるものという解釈
ですが、給特法をそのまま生かすにせよ、廃止するにせよ、この包括論的解釈をきちんと否定することが必要不可欠と私は考えます。そうしなければ、結局のところ、残業が労働として扱われずに「自主的活動」とされてしまうのは同じだからです。超勤4項目以外の時間外勤務の在り方を明確にし、労働として認めることが何より重要なのは給特法の有無によって変わらない、そう思って裁判に臨んでいます。
この包括論的解釈をきちんと否定したうえで、「超勤4項目以外の仕事を命じられない」ことを使用者側にしっかりと守らせる仕組みづくりが必要なのだと思います。
教員の時間外勤務が労働として認められることが最重要
私が、「給特法廃止=長時間労働の解決」と楽観的になれない理由、ご理解いただけたでしょうか。
私は、「超勤4項目以外の時間外勤務が労働として認められること」、これが最重要ととらえています。
皆さんもこのことについて、一緒に考えていただければ幸いです。
先日の裁判、傍聴させて戴いておりました。栃木県の小学校教員です。田中先生の、毎日の激務をこなしながらの裁判、本当に頭の下がる思いです。
今回のお話、とても分かりやすかったです。その通りだ、と思いました。給特法を改正すれば解決するとは私も思っていません。
一方で私は給特法廃止にも賛成です。給特法を廃止すること、教師の時間外勤務を残業として認めること、労基署が介入できることなどセットで進めていく必要があるのでは無いでしょうか。