【お知らせ】未来の社会を作るプロジェクト・第二次訴訟企画から離脱しました

埼玉超勤訴訟は、2023年3月に最高裁により、上告審議に至らず判決が確定されました。埼玉超勤訴訟の結果は敗訴でしたが、時間外勤務が一部労働と認められました。

2023年4月、田中まさおは、田中まさお支援事務局とともに、「未来の社会を作るプロジェクト」の中心者として、第二次教員超勤訴訟活動の準備を始めました。

まず、全国から集団訴訟に参加したいメンバーを募りました。Zoomを利用してそのメンバーとの顔合わせ会議も開催されました。そして、事務局会議と並行して、集団訴訟希望者からは弁護士が個別に話を聞くという活動が始まりました。

しかし、田中まさおは、2024年7月に「第二次訴訟」のメンバーから抜けることを決意しました。理由は、田中まさおは、「未来の社会を作るプロジェクト」の代表者でもなければ、中心者でもなく、単にメンバーの一員に過ぎなかったからです。つまり、第二次訴訟は田中まさおの意向通りに進むものではないことが分かってきたからです。田中まさおが皆さんに語ってきた夢を実現できる活動にはならない。それが大きな理由です。

田中まさおがメンバーから離脱した時には、第二次訴訟に関しては、そのまま弁護士の先生方と田中まさお支援事務局(未来の社会を作るプロジェクトメンバー)が続ける所までは確認しましたが、メンバーから外れた田中まさおには、第二次訴訟がどのように進んでいるのかは知らない所になりました。

この度、田中まさおの離脱が大変無責任な結果になったことをお詫びするとともにご報告させていただきます。皆様へのご報告が遅れた理由は、田中まさおの離脱が、「未来の社会を作るプロジェクト」つまり第二次訴訟事務局活動に対する影響を限りなく少なくするための配慮でした。

田中まさおのさらに詳しい離脱理由については、当時の私の「田中まさお第二次訴訟に参加の皆様方へ」のLINEメッセージを掲載させていただきます。

「第二次訴訟に参加の皆様方へ」
私、田中まさおが、第二次訴訟から抜けるという、皆様方には大変失礼なお話をしなければなりません。まず初めにこのことに対して、皆様方にお詫びを申し上げます。このたびは大変申しわけありませんでした。

田中まさおの名前で第二次訴訟を募集しておきながら、当の本人である田中まさおが第二次訴訟から抜けるという、いったい何だろうと思う方もいるかも知れません。それではなぜ私が第二次訴訟から抜けるのか。その理由をお話させて頂きます。

私、田中まさおが中心になって第二次訴訟が進んでいるわけではありません。田中まさおは第二次訴訟の話し合いを進めている「未来の社会を作るプロジェクト」のメンバー8人の一人に過ぎなかったのです。従って私の意向通りに企画が出来るのではなく、私の意向通りに第二次訴訟が進んでいるわけではありません。

皆で話し合うので時間がかかりますし、時間を掛けて来たにもかかわらず、私が思う第二次訴訟と方向性がずれて来ました。私は教員であれば誰でも参加出来る訴訟にすること。個人ではなく集団訴訟にすること。この2つは譲れません。

私が考える集団訴訟は、全国の教員が一つになって皆で訴える訴訟が集団訴訟であると考えました。教員皆で訴える訴訟をリードするために田中まさおの存在があると考えました。しかし、現状はかけ離れています。皆様方も今になって感じていると思うのですが、皆でやる集団訴訟というよりも自分が中心者になって自分で訴訟を進めるような集団訴訟になって来ました。

第二次訴訟の中心者が誰なのかはっきりしません。少なくとも私、田中まさおではないことは自分ではっきりと言えます。しかし、全国の教員は田中まさおが中心者になって第二次訴訟を進めていると思っているのでしょう。

私が第二次訴訟のメンバーから離れる理由を考えますと多々あります。いずれにしろ私、田中まさおが考えている訴訟とは違う方向に進んでいると感じた今、私はこの会から離脱することを決意しました。私、田中まさおは、今後は、皆が参加出来る訴訟、そして一人一人が訴訟負担をしないで済む訴訟を模索します。

田中まさおは敗訴の記者会見で夢を語りました。教員が労働に携わりながら一人一人が豊かな生活が出来るという夢です。この夢を実現するには全国の教員が気持ちさえあれば参加出来る訴訟にすることが大切だと思っています。今の第二次訴訟の方向性は教員一人一人にとってハードルが高過ぎて参加出来ないと感じます。

まだまだ見通しが立っていませんが、今後は田中まさおのホームページにて、私が求める集団訴訟の募集案内をさせて頂く予定です。このたびは大変申しわけありませんでした。私の力が無いがゆえに皆様方に多大なるご迷惑をお掛けしてしまいました。どうぞお許し下さい。

2024年8月の出来事でした。会からの離脱後、第二次訴訟の行方は私の知るところではなくなりました。

2025年6月、今、皆様方へのご報告となったことをお詫び申し上げます。みんなで一緒に考え、行動することの難しさを田中まさおは初めて知りました。

振り返って見ますと、埼玉超勤訴訟は全て田中まさおの意向で裁判を進めていました。若生弁護士が私の意向を100%支持してくだっていたからです。高橋先生をはじめ江夏弁護士、支援学生の方々も田中まさおの意向を100%支持してくださっていました。

また、日本全国の田中まさお支援者及び田中まさおに協力をしてくださった方々には心より感謝しています。

このまま第二次訴訟へと続きが始まると思っていたのですが、みんなで進めるという壁に田中まさおは阻まれました。みんなで進めるのは私にとって難しい課題でした。合議制はひとりひとりが一票の権利を持っています。私の意見は八分の一にしか過ぎません。私の考えと他のメンバーの考えとの具体的な相違点については詳しく言えませんが、私は、第二次訴訟についてもある程度、自分の考え方で進められると思っていました。しかし、私が妥協できない提案で会議が進むようになったということです。

今、ここで皆様方に、田中まさおが第二次訴訟から離れたことをあらためて報告させていただきます。全国の皆様方には、田中まさおが第二次訴訟の夢を語りながら、実は自分が第二次訴訟メンバーから離脱しましたことをお詫び申し上げます。
「大変申し訳ありませんでした。」