現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため無賃残業訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。
これから、裁判の話を中心に38年間の小学校教員の経験についても書いていきたいと思っています。
今日は第1回の裁判でも述べた、「教員の自主性」に対する変化について書きます。
教員の自主性が尊重されていた時代
1981年(昭和56年)4月。私が教師になった当時は、教師の自主的な活動が主であった時代でした。
初めて先生と呼ばれた日のことです。始業式で簡単な挨拶、担任発表の後に教室に向かうのですが、何を指示されることもなく、自分で教室に向かい、子供たちの前で自分の思いを必死に話していたことを覚えています。先輩の先生の様子を見ながら自分で考えて仕事をしていました。
楽しかった毎日毎日があっという間に過ぎていきました。学校長に指示を受けることもほとんどありませんでした。
勤務の開始は8時30分。多くの先生方の出勤時刻は8時15分を過ぎていました。17時が勤務終了の時間です。子育て中の先生方が大勢いて、勤務時間の終了とともに職員室から半数ほどの先生たちがいなくなりました。
教員の自主性が尊重されなくなった
そのような状況が一変したのが、2000年(平成12年)です。学校教育法の改正で施行規則48条で、職員会議の位置付けが変わったのです。
改正学校教育法施行規則48条
- 小学校には、設置者の定めるところにより、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。
- 職員会議は、校長が主宰する。
この改正により、それまで法的に位置づけられていなかった職員会議が法令上明確に位置づけられました。それまで職員同士で話し合いや多数決で決定していた職員会議は、この改正により「校長の諮問機関」、つまり明確に校長に決定権限が与えられるように変わったのです。
その直後、2001年(平成13年)4月、新しい学校に着任すると大きな変化を感じました。職員会議は話し合いの場ではなくなりました。また、人事評価制度も導入されました。この頃から時間外勤務が増えるようになりました。
2008年(平成20年)に異動した学校では、登校指導のため、朝早く出勤しなければなりませんでした。もちろん時間調整もありません。学校長から仕事を指示されることが多くなり、時間外勤務が当たり前のようになってきました。
このように、職員会議が校長の諮問機関になったことで教員の自主性が尊重されなくなり、それにしたがい時間外勤務がとめどなく膨らんでいきました。
若い方々にも、このような経緯を知っていただきたいと思い、筆を執りました。
同じ時代に教師として過ごしたものとして、自分で考え悩みながら試行錯誤してすすめる仕事から、誰かに言われて、やる意味も考えさせられずにやらされる仕事への変容を私自身も感じながら過ごしました。職員会議の位置付けが変わったことが、学校が、教育が自分からどんどん離れていってしまった大きな転換点だと思います。