現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため無賃残業訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。
今日は、「体罰同様、いずれ超過勤務も許されなくなる」という私の考えについて書きます。
昔は体罰が容認されていた
私が小学校教員になった頃、38年前、その当時の学校現場ではまだ体罰がしつけとして行われていました。
「先生、ウチの子が言うこと聞かなかったら殴ってください」と言う保護者も少なくありませんでした。
今の若者には信じられないかもしれませんが、社会全体として体罰が容認されていたのです。また、体罰はダメなのではないかという声が上がり始めた頃も、まだ教育委員会は身内である教員を守っていました。
しかし、今は違います。世の中は一気に変わりました。人権意識の高まりとともに、体罰は許容されなくなったのです。
今は体罰が発覚すれば校長や教育委員会の責任問題になりますし、未然防止のために教育委員会から学校現場に向けて「体罰防止研修」等も行われています。
なぜか。
言うまでもなく、社会全体の目が厳しくなったからです。日本人の人権意識が向上したのです。
労働問題は体罰問題と似ている
私は労働問題も同じだと考えています。
労働問題も人権問題です。
ここ数年で、世の中では過労死やブラック企業などが社会問題化し、「働き化改革」がキーワードになりました。
体罰問題同様、今度は日本人の「労働に関する人権意識」が向上してきたのです。
先日、文部科学省も学校管理職に向けた「公立学校の教師の勤務時間管理の基本」という動画をYouTubeで公開しました。
これまでは超過勤務は教員の「自主的」なものであると主張してきたお上も、ついに社会全体の労働に関する人権意識の向上に逆らえなくなってきたものと私は見ています。ちなみに、この動画では、明確な指示・命令がなくても、「黙示の超過勤務命令」があるとしています。
これからは、体罰を容認する学校長が許されなくなったように、勤怠管理をしない学校管理職は許されなくなるのだと思います。
体罰が当たり前でなく、社会から厳しい目を向けられるようになったように、勤怠管理のない超過勤務についても当たり前でなく、厳しい目を向けられるようになる日は近いのではないでしょうか。
あるいは、楽観的過ぎるでしょうか。