現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため超過勤務訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。
今日は私の勤務校で行われている、「無言清掃、無言給食」についての私の考えを書きます。
若い教師は子どもを黙らせるのに必死
子どもたちに話を聞かせるために、沈黙をつくるのはものすごく大変です。
子どもたちは自分を表現したくて学校に来ているのですから、簡単には黙りません。しかも日本の学校は1クラス35~40人の子どもを一人の担任が担当しなくてならないのです。
ですから、若い教師たちは子どもたちを静かにさせるのに、とにかく必死です。
「一列に並んだら口を閉じようね」とか、「先生が頭の上で両手をクルクル回したら静かにしようね」とか…。
彼らのなかには教師の仕事は子どもを静かにさせることだと勘違いしてしまっている者もいるように私にはみえます。
『無言清掃』『無言給食』は本当の教育なのか
それに拍車をかけるのが、校長が指示する『無言清掃』『無言給食』です。
これらは、子どもたちに無言で清掃させたり、無言で給食を食べさせることを全校一致で強制させるものです。
確かにこのような取り組みを行えば、それらの場面で子どもたちは「黙る」ことになるでしょう。
しかし、清掃中・給食中に黙ることに何の意味があるのでしょうか。
本当に必要な教育は、掃除だから黙る、給食だから黙る、ではなく、「みんなが話を聞かなければならないから黙る」「集中したいときだから黙る」といったように黙る必要性を考えさせることではないでしょうか。
忙しさと管理のあまり、教師たちが「教育とは何か」を自分で考える機会が減っているのが心配です。
黙掃は本当に大反対です。コミュニケーションをとる大切な時間をとりあげられたら、自分なりの学級経営ができる気がしません。もちろん感染症が流行している時期は別の理由で「黙って掃除しよう」「黙って給食たべよう」と指導します。でも、あのまるでおかしな宗教みたいな黙掃は超大反対!寒気さえします。