#9 教師の仕事とは何か

現在、埼玉県教育委員会に対し長時間労働の是正を訴えるため超過勤務訴訟を起こしている、小学校教員・田中まさおです。

今日は、「教師の仕事とは何か」について、私の思うところを書きます。

私は教師という職に自由を求めている

私は教師という職に自由を求めています。

特に、若い教師に自由を与えてほしいと思っています。

今は仕事を命じすぎています。例えば私の勤務校では、無言清掃・無言配膳・無言移動と、子どもに無言で行動させることを徹底させています。

若い教師が1年中、学校方針に従って子どもを静かにさせることに一生懸命になっているのです。

黙って掃除をする、黙って給食の配膳をする、黙って歩く。それが教育だと思っています。

静かにできることは大切。でも、自分の考えを持ち、主張できる子どもを育てることの方がもっと大切です。

あるとき、私は若い教師に聞きました。

「あなたは何のために教師になったのか」と。「こんなことをしたくて教師になったのか。教師になる前は、教師になったらやってみたいことがあったのではないか」

そう声をかけると、はっとした表情を浮かべる教師もいます。自分の仕事は何なのか、気が付くのです。

教育はすべて個人指導である

裁判を起こしてから、若い先生たちへのメッセージを求められることが多くなりました。

その際はいつも、「若い教師たちには、『自分の頭で考えて、子どもにアプローチする教師』でいてほしいと思っている」と伝えています。

私は、教育はすべて個人指導であると考えています。

個人をどれだけ豊かにできるかというのが教育の目的であり、教師が子ども”個人”と”個人”として接して、”個人”同士のやりとりのなかで一緒に考えていく、それが教育のあるべき姿であるからです。

「私はこう考えているけれど、君は何を求めているのか」と。

それには一人ひとりの子どもに接して、自分の頭で考えて判断して、それぞれの子どもに合うアプローチの仕方を考えていく、ということが必要です。そこには絶対的な方法なんてありません。

自分で、子どもとのやりとりのなかで自分で考えてみつけていくしかないのです。

しかし、今、若い教師たちを見ていて、失われてきていると感じるのが、その「自らの頭で考えて、子どもにアプローチする」という姿勢です。

子どもは一人ひとり全員違うのに、自由がないから、忙しすぎるから、ということで、若い教師たちが自ら考えて子どもにアプローチする姿勢が失われているように感じます。

彼ら若い教師は、自ら考える自由・余裕が奪われているのです。

教師は子どもたちに夢を与えられる職業

長時間労働を是正することを通じて、若い教師たちが「自らの頭で考えて、子どもにアプローチしていける」自由・余裕を与える必要を感じたことも、今回裁判を起こした理由の一つです。

教師は、子どもたちに夢を与えられる職業です。中学の教師に憧れ、教師になった私はこの仕事に携われたことに最高の幸せを感じています。

「楽しいから長く続けられる。自由だから豊かな発想が生まれる」

このことを38年間の教師生活で学びました。若い教師たちにも私と同じように感じてほしいと思っています。